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なば
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非公開
趣味:
読書・ふらりとどこかに行く
自己紹介:
絵を書いたり文を書いたり時々写真を撮ったり。
コーヒーとペンギンと飛行機が好き。
twitter=nabacco

三国志大戦関係
メインデッキは野戦桃独尊、独尊ワラ。君主名はなばーる。
MGS関係
白雷電が大好きです。以上。
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航空関係のプロジェクトXな話が好物です。

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World Alone 1

注意書き


■「待たせたな!」「(そんな悠長な事言ってられる状態なんか)じゃなーい!」
■前作と同じく、MGS2からMGS4の間(「MGSR」はそうなる筈、と思っていた時期)をイメージしました。
■MGSシリーズ本編には出て来ないオリジナルキャラクターがまた出て来ます。
■続き物ですが、独立して読める様に心がけた……つもりです。
■舞台がアメリカのだだっ広い土地ですが、書いた奴の彼の地に対する知識が貧弱貧弱ゥ!

そんな調子の話でも宜しければ、「つづきはこちら」からどうぞ。



 朝の空気は冷たく、加えて放射冷却現象の所為で気温はマイナスになっていた。
 雲一つ無い、地平の向こうからの光で徐々に暗さを忘れていく空の下、針葉樹が固まって生えるのを時折見掛ける程度の原野を、小さな赤い車ががたがたと揺れながら進んでいた。四輪駆動車なら、荒野と区別の付かない道を難なく突っ走る事が出来ただろうけれども、ハンドルを握る親父はそれを持っていなかった。第二次世界大戦後に設計された小さな小さな、おもちゃのような車を愛して止まないからどこまでもこれで走ると決めたのだった。当然親父の車にはカーナビは付いていない。助手席には付箋が幾つも貼られ、頁の隅が磨り減った地図帳が広げられている。細い道路の線と等高線の印刷された、地図だけ見ていても荒野と解る見開きには丸印が書かれていた。そこが親父の目的地だ。
 ラジオが、リクエストされたルイス・アームストロングの『この素晴らしき世界』を流している。Wonderful world。どうだかね、と親父は独りごちた。生まれるのなら、第一次世界大戦よりちょっと前に生まれて「古き良きアメリカ」を堪能出来て死ねた世代が良かった。現代と違って全てが人力で、機械に仕事を取られるよりずっと前の世界が良かった。戦争の事はいつの時代に生まれても避けられない事だからと、割り切って考えよう。スペイン風邪のリスクもあるが、エボラ出血熱に罹るよりはと思う。第一次世界大戦は戦争を根本から変えて、第二次世界大戦で更に進化した。化学兵器と原子爆弾の二つの悪魔を生み出して、特に航空関連の変貌はまるで芋虫が蝶を通り越して鳥になった様な変わり様だった。
 ラジオは天気予報に変わっていた。向こう一週間は晴れるらしい。地図を横目で見ながら走っている内に、目的地付近に到着した。小高い丘の麓に車を駐めて、本当の目的地の中腹までは歩いていく。寒い。アルミの断熱毛布を被り、地図帳とライターオイル式懐炉をジャンバーの中に突っ込んで、それを抱きかかえる様に腕組みして歩き出した。低い木々や、太い根で執念深く大地にしがみつきながら枯れたよもぎが邪魔で、親父の脚に何度も絡みついた。
 丘を登るにつれて砂利は少なくなり、多少は歩き易くなった。カーペットの様な足の裏の感触に見下ろしてみれば、砂地に茶色い苔が生えている。
 いつの昔に掘られたのか解らない廃鉱の跡らしい穴があった。ここが待ち合わせ場所だ。この穴は、西部開拓時代にどこかの誰かが金を求めて掘ったのかも知れない。トンネルを支えていた柱は朽ち果てて無くなっていた。
 近付くのは危険だと思った。いつ崩れるか解らない。こんな道を脱出ルートに仕立てた人間の気が知れない。地図の作られた年代を無視したか、現在の事に全く考えが及ばなかったに違いない。
 トンネルから離れた茂みの中に、尻に断熱毛布を敷き込みながら胡座をかいた。時計を見れば五時半を少し過ぎていた。
 首を縮めたまま眼だけで空を見上げる。東から西に掛けて、朝から夜へと変じていくグラデーションに染まった空だ。まだ西の方には星が小さく見えている。コロンブスが来る前から、多分この景色だけは変わらないのだろう。だったら、この世界はまんざらでもないかも知れない。
 コンクリートやタイルを叩く硬い音がした。
 親父はそちらを見る。トンネルの奥から、走っているらしい足音がする。その音がこだましてどんどん大きくなっていき、一度たたらを踏んで立ち止まった。そしてまたゆっくりと歩き始める。安全靴か登山靴か。靴音が立てるこだまは、靴の主が重い荷物を背負っていると感じられる気配の響きを伴って大きくなっていく。
 そしてとうとうそれがトンネルを抜け、地平から顔を出した朝日を受けた。
 確かに人間を一人拾ってくれと頼まれた。けれども、廃坑から息せき切って現れた物を人間と言っていいのだろうか。
 砂利を踏みしめて呆然と立ち尽くすそれは、黒地に灰色の四角形が折り重なったピクセル迷彩に似た模様で彩られた中世の甲冑の様な装備を全身に纏い、テレビでよく見る兵士が、個人用の弾薬や無線機を持ち運ぶチェストリグを着ている。見える限りでは下顎や首まで鎧を纏っている。
 ロッキーにでも籠もりに行くのかと訊きたくなるような大きさのリュックサックを背負い、腰のホルスターには剣を帯びている。銀に近い色の髪に朝日が浴びせられ、金色に染まる。風が緩く吹いて前髪が流れ、その隙間から縞模様が見えた。バーコードだ。
「外だ……」
 喜びとも悲しみとも判別し難い様子で頬を歪め、朝日を呆然と眺めながらそれは呟いた。何かが吹っ切れたか壊れた様に、膝を突いて座り込み、外だ、本当だ、嘘じゃない、と呪文の様に唱える度に白い息が吐き出された。
 それは泣いていた。
 突っ伏して何かを呟く内に鼻が詰まった声になっていき、肩を震わせていた。けれども太陽にひれ伏している様には見えなかった。親し過ぎた者の墓前で泣いていると言った方が似合う。
 どう声を掛けてやれば良いのかと思っていたら、泣きじゃくっていたそいつが急に顔を上げ、親父を見据えて誰だ、と強い声で言った。親父はその声音の、敵意に近い警戒心に気付いた。
 誰と答えたら良いのか考えながら親父は野球帽を取り、茂みから立ち上がった。次いで、組んでいた両腕を解いて開く。ジャンバーの下から地図帳と懐炉が落ちたのに自分でも驚いて、断熱毛布が風に流れて寒気の中に放り出された。昔の事を少しだけ思い出す。ベレーとヘルメットの話だ。
「運転手だ」
「車は?」
「麓に駐めている。五分も歩けば着く」
 親父はそう言うなりでかいくしゃみをして、毛布と地図帳と懐炉を拾い集めた。早く行こうと黒いのに語りかけようと振り向いて、目が合った。
「なああんた、今日は、何年何月何日だ……?」
 黒いのがそう言った。涙が伝った頬に吐息がヴェールの様に掛かる。首から下の黒い機械だか鎧だかとは正反対に、親父を見据える顔立ちは白く、目元の辺りだけを見れば式で涙する花嫁の様に美しかった。けれども声は成人した男の低さだ。
「……西暦二千十一年二月……えーと、二十日、だ」
 答える事は出来る。
「本当に……二年が経ったんだ……」
 この黒いのは、空を見上げる事も時間を気にする事さえも許されない世界に今まで閉じ込められていたのだろうかと思うと、早く帰らなければならない気がした。
「とりあえず自己紹介をしようか。俺はフー。言っておくが、綴りはHotel、Uniform。で、あんたは?」
「雷電」
 親父は黒いのの名を、変わっているというか、あまり聞かない響きがあると思った。
「あんたにここに来る様に指示した奴が居る筈だ。そいつみたいに、あんたを拾えって言われているんだ。ここからの道は長い。とっとと家に帰って休もうや」
「ありがとう……」
「仕事だ。礼を言われる様な事じゃない」
 フーは雷電を促してまた来た道を戻った。往路で枯れ木や草を踏みつけ、蹴散らして歩いた為か多少歩きやすかったし、時間もそんなに掛からなかった。
 麓に駐めたフーの車を見て雷電が乗れるかな、と呟いた。
「心配すんな。こいつはこう見えて大人四人乗せて走れるし、ちょっとばかし改造もしてある。あんたは鎧を着てるから二人分位重みがあるだろうけどな」
 何がおかしかったのか、雷電が小さく笑った。なんだよ、とフーが問うと相当自慢げだったからと言った。そうとも、とフーは思う。フーはこの車が好きだ。
 あ、と思いだした様に雷電がリュックを探り、フーにカードを渡した。銀行のキャッシュカードらしい。カードに貼られた付箋を見れば暗証番号らしい文字が並んでいた。何だこれ、とフーが訝っていると早くどこかで引き落とした方が良いみたいだと雷電が言った。誰かの金を勝手に使って良いのかと思ったが、貰える物は貰っておこうと決めた。
 助手席に雷電の背負っていたリュックサックを置く。その上に地図帳とキャッシュカード。後ろに乗れと促された雷電が後部座席に横になった途端に、ずしりと車体が沈んだ。
「なあ、あんた何トンあるんだ」
 雷電は答えられなかった。トンネルの出口付近で既に体力の限界だったのを、今度は気力だけで動き続けた。トンネルを抜ければどうにかなるとしか思っていなかったから、そこから離れてどこかに移動する事までは頭が回らなかった。横になったと言うよりも倒れ込んだと言った方が正しい程だった。
 フーはどれだけ待っても返事をくれない雷電を断熱毛布で覆い隠し、毛布の裾を体の下に押し込んだ。雷電の事は誰の目にも付けない様にと、無茶な条件が付けられているからだ。この監視カメラが隈無く見張る世の中で何て事を言いやがる。
 フーは運転席に乗り、キーを差し込んでエンジンを点けた。たった十分程しか離れていなかったのに、車内は冷え切っていた。しばらくエンジンを吹かして暖めている間、最寄りのガソリンスタンドを確認した。あまりにも寒いからエアコンを点けた。
「エアコン届いているか?」
 雷電の返事は無い。
「大丈夫か?」
 やはり黙っている。
「……それでは出発致しまーす」
 フーがタクシードライバーの真似をしてふざけても、雷電は返事をしてくれなかった。


 アイ・ナウ修理工場の事務所でオーサンはノートパソコンのキーを叩き、今月分の経費の計算をしていた。店長が用事で出て行ってしまい修理関連の全ての業務が止まり、計算を進めるなら今の内だと思って頑張ったので、何とか計算だけは終わりそうだった。備品から壁紙に至るまで事務所の中は骨董屋の様になっていて、一見オフィスには見えない有様である。工場の代表番号に応える電話も、ベルをハンマーで叩いて着信を告げる物である。番号表示はもちろん着信・発信履歴や留守番電話の機能は付いていない。
 それもこれも工場長兼店長のフーの所為だった。ちなみにフーは携帯電話を持っていない。徹底した懐古主義頑固親父だと思う。
 パソコンと、インターネットの為に部屋の隅に目立たないように据え付けたルータやモデムが場違いに感じる部屋だ。あまりに古くさいのでふざけ半分で、部屋の一つを一定時間貸し出して、写真撮影や古い雰囲気を楽しむ部屋として使って貰おうと言ってみたら、近くの街で評判になり、結構な需要があった。部屋で遊んだ皆が皆口を揃えてタイムスリップした様だ、映画のセットの様だと言った。
 フーが昔馴染みから頼まれた仕事に出掛けて二日が経つ。今日は二月二十一日、午後三時過ぎ。先程柱時計が三つボンを打っていたし、パソコンの片隅の時計もそう示している。
 思い出した様に公衆電話からフーが電話を掛けてくるが、それも途絶えた。昨晩の九時に掛かってきたのが最後だった。あと半日で帰ると言っていたが、どうなったのか。今朝の九時に着くと思っていたのに、もう六時間過ぎている。何故遅れているのか知りたくてもそれも出来ない。フーが携帯電話を持っていないし、連絡の一つもくれないからだ。
 作業が終わり、パソコンを閉じてコーヒーを淹れて体をほぐす。二月末とは言えまだ寒く、室内でもベンチコートを着ているオーサンの事をフーがよく蓑虫みたいだと言ってからかう。俺の生まれた場所はここまで寒くならないのだから、蓑虫で結構、とオーサンは思う。一方のフーは年中熱があったり下痢と嘔吐が止まらなかったり、数年前はガンの切除手術を受けたりと、病人のくせに真冬もジーンズにジャンバーで通す。そちらの方がおかしい。
 胃袋に落ち込んだコーヒーの温かさがじんわりと臓腑に染みる。ストレッチをしたら何だか気分が良くなってきた。それと同時に、遠くから聞き慣れたクラクションが聞こえた気がして窓の外を見ると、雪の残る景色の中を赤い小さな車が走ってくる。オーサンが急いで修理場兼車庫に走りシャッターを開けると、待ち構えていた様にフーの乗るミニが突っ込んで来た。すぐにシャッターを下ろした。
「オーサン、台車持って来い!」
 ミニから降りたフーが、言うが早いか自分から倉庫に駆け込んで行った。ミニの後部座席を見ると、誰かが横たわっている。オーサンはミニに駆け寄り、両方の後部ドアを開けた。台車を押しながら、助手席にそいつの荷物があるとフーが言うので助手席ドアを開け、リュックサックと刀剣のような形の物を取り出し、地べたに置いた。
「一階のベッドに収まるかな、こいつ」
「大丈夫と思います、けど、この人何なんですか」
 フーが脚を持つから脇を抱え上げろと言うので指示に従う。マネキンの様に整った顔立ちをしていて、細い髪の間から覗くバーコードが人工物らしさを強調しているような気がした。酷く重たかった。絶対こいつ百キロ以上ある、とフーは言った。台車を押してオーサンが寝泊まりしている部屋まで行くも、台車がつっかえて中に直接入る事が出来ず、仕方なしにそいつを引きずる様に運んでベッドに横たわらせ、毛布を被せてやった。相当荒く扱った筈なのに一向に目を覚まさないのが得体の知れなさに拍車を掛ける。
「……こいつは、お客さんだ」
「あ。この人が依頼の件の?」
「そうらしい。……ライデンと名乗っていた」
 フーが肩で息をして腰を叩きながら言った。オーサンがガレージに置いてきた雷電の荷物を取って来た時には、フーは心底疲れ切った様子でベッドの縁に腰を掛けていた。店を休みにして良かったとフーが言うのでオーサンも同感した。ついでだから冷蔵庫からコーラを持ってきてフーを労った。フーは煙草も酒も控えるように医者に言われているからだ。
 オーサンの部屋は狭く、例えるなら独房位の広さしかない。ベッドとその下に衣装ケースがあるのと、部屋の隅に本を突っ込んだカラーボックスとその隣に散弾銃が身を潜めているだけで、壁は打ちっ放しのコンクリートで寒々としていた。窓はない。天井には蛍光灯が二本へばり付いている。
「店長、帰ってくるのが大分遅くて困りましたよ」
「仕方ないだろ。こいつが重くてガソリン食ったのと金下ろしてくれって頼まれたのと、後は俺の体力不足だわ。三十分だけ寝ようと思ってたら四時間過ぎてたし、どうにもきつくて二度寝した。いやぁ、歳って嫌だね」
「自分の体の事をちゃんと解っていますか? 今なんて死人かゾンビみたいに見えるです。後! 携帯持たないなら通信の事はしっかり考えて下さい。色々困るんです」
「道々公衆電話が無くってよー。その辺の家の電話借りるのに値段交渉したりするのも面倒だろ?」
「ちゃんと薬は飲んでましたか? 渡しましたよね、朝昼晩と非常用で」
「てめえは俺の母ちゃんか嫁さんかってんだ。飲んだ飲んだ」
「ほんとー?」
 それならピルケース見せて下さいとしつこいオーサンに、フーはポケットから半透明の箱を出して投げ渡した。プラスチックの箱の中に何種類かの錠剤のシートが入っていて、それぞれ同じ数だけなくなって穴が開いている。それを見て満足したのか、オーサンは静かになった。
「……なあオーサン、お前はライデンを人間だと思うか?」
 炭酸を飲んで一息ついたフーの問いにオーサンは頭を振った。
「わかりませんですね。寝息の一つでもたてるかと思ってずっと見ているのに、本当に人形みたいに静かです。顔も、マネキンみたいで綺麗すぎて嘘っぽく思えます。それと、こんな格好では脈も測れませんから生き物なのかもどうかも、わかりませんです」
 そう言ってから、何かを思いついたらしいオーサンが身を屈め、雷電の首筋にゆっくりと手を伸ばした。フーから見てもその手つきは猛獣に触れようとしている様であり、慎重過ぎる程のろかった。
 人間の首を繋ぐ筋に似た太いコードの根本の傍、黒焦げの骸骨の様な下顎の、人間で言えば奥歯の真下の辺りにオーサンの手がやっと触れた。普通の人間なら頸動脈の動きがわかる場所だ。
「脈は測れません。肌がプラスチックみたいに硬い」
 こっちは新品のゴムみたい、と言いながらオーサンが今度は雷電の頬を突く。
「……俺は、こいつが脱出できて嬉しかったのか、ぼろぼろ泣いているのを見たんだ」
「泣いているから人間だと判断するんですか。店長、単純」
「そう信じたい。それに、寝るって事は一応生き物みたいだし……さて、俺も寝るわ」
「横になれるマシな場所はガレージのソファしか……」
「それでいいわ、柔らかくて横になれるんならな」
「店長、もっと自分の体を大事にしてですよ? 聞いてますか? 毛布どこにあるか知ってますか?」
 フーはいつまでもうるさいオーサンから逃げる様に、関節をごりごり鳴らしながら部屋を出て行った。オーサンはしゃがんだまま雷電をもう一度見た。文字通り磁器の様に白く滑らかで、毛穴もしわも一つもなく作り物めいている顔をまじまじと見る。変な例え方だとは思うが、デスマスクの方が幾らか生きている様に見えると思う程だ。こいつが疲れ果てて寝るから、理由は解らないけれど泣いたから人間だろうというフーの考え方は穴があるが、わざわざ揚げ足を取ろうという気も起こらなかった。逆にオーサンに、じゃあ人間と動物と機械の境目って何だと思うんだ、と問われている気もした。そして雷電が、俺をどう扱うんだ、と無言の内に訴えている気もした。
 オーサンは立ち上がり、壁にくっつけた常夜灯を点けて、蛍光灯を消しながら部屋を後にした。


 柔らかめのベッドに横たわり、枕に頭を載せ、毛布とブランケット寝袋を掛けられていた。枕元の壁には、可視光ではぼんやりとしたオレンジ色に見える電球があった。どれもこれも二年間使わなかった代物だ。雷電は身を起こしてそれを眺めた。殆どが機械に置き換えられた今の体には必要のない物だったが、フーは雷電の事を人間扱いしてくれたらしい。可視光に限定していると部屋の中は見えないが、赤外線等も感知できるようにするとそこそこ明るい。ランプの光を頼りに部屋の照明のスイッチを探して点けた。蛍光灯がぽんぽんという情けない音を立てて、不健康な白さで灯った。コンクリートの箱の様な、そして独房の様な部屋だった。
 気が付いたら一日半経っていた。ここが独房と大きく違うのは、カラーボックスや誰かの着替えや雑誌が散在しているところだ。どういう場所かは解らないが、フーと名乗った男が連れて来てくれたのだろうと思った。
 枕や毛布を見てそんな事を思って、自己チェックも兼ねて建物を探ってみる事にした。まずは音響から部屋の位置を割り出してみる。部屋の向こうから聞こえるテレビの音声を頼りに反響を探ると、この部屋は鉄骨組の建物の真ん中にあり、外部から覗けない様になっているのが解った。
 次いで、電波での探索に切り替えてみた。探索電波を一つ発した。放ったつもりだった。
 何度も試した。周波数を変えて反射を待たずに幾つもの電波を放った。探索の為の電波はどれだけ試しても打てなかった。それでも足掻いていると自己判断ソフトが電波の発信に関して全ての項目に「error」を下した。
 絶望した。
 強化外骨格の特徴の一つの電波が使えないのは、聞けず、喋れず、見えないのと同義だ。受信系統が生きているなら、相手が漏らすぼやきでも溜息でも拾う事が出来るが、戦場でそんな親切な事をしてくれる奴は居るまい。ただの人間が耳栓と目隠しをして真っ暗な洞窟を手探り、足探りだけで進む様な物だ。
 小さな電波が漏れているのに気付いた。恐らく何かの無線か携帯電話だ。
 試す価値はある。電波の耳を凝らし、それを必死に受信した。波形は人間には無いも同然の時間差で雷電に反響や残滓を伝えた。
 受信系だけは何とか生きている。
 それだけで少しだけ安心できた。探った様子では、広い倉庫らしい所に匿われ、自分を手助けしてくれる人間が少なくとも一人は居て、回線が細いがインターネット環境が整備されていると解った。
 毛布を押しのけベッドの縁に腰掛けると、反対側の机の上に表面の磨り減ったライターと煙草の箱があった。箱には「Peace Lite」と書かれている。白地に紺色がネクタイの様に印刷されている。紺地の部分に枝を咥えた鳩の絵柄が金色であしらわれ、タイピンの様だった。箱の下半分は何やら細かい文字で印刷されている。英文ではないので内容は解らない。雷電は以前は煙草をやっていたが、数年振りにお目にかかれた箱を見ても関心が湧かなかった。普通の人間でなくなったからか、それとも年月の所為かは解らない。
 知らない銘柄だが、この名は多分、「Peace」という名前の本家の煙草がまずあって、そのタールやニコチンの軽量版という意味なのだろう。けれども「平和をほんの少しだけ」とか「束の間の平和」という意味にも思えてくる。単に考えすぎかも知れない。
 敵襲もなく、体をいじられる心配もない今はある意味で束の間の平和なのかも知れないが、必ず自分を回収か始末かする奴等が来る筈だと、そう思った。
 雷電がトンネルを抜けてここに来る前は、刑務所と実験場を足して割って人権を大きく差し引いた場所に居た。
 そこでは雷電と同じ様に、体を機械にすげ替えられた元人間達が居た。その体を作る者と、体に合わせて武装を作る者が居た。そこで互いに殺し合う日々が二年近く続いたと思ったら、いきなり逃げろと言われ、今に至る。
 雷電は黒い装甲に覆われた自分の脚を見た。膝を曲げ伸ばし、両腕を肩の高さまで上げ、五本の指が付いた両手を握り、開く。今動かした部分は全て機械に取って替わられているが、見た目は人間に似ている。あの場所には、人間の形すらしていない者も居た。雷電自身何度かそんな目に遭った。戦車の様な装甲を人間に持たせようとした結果、てんとう虫や蜘蛛の様な者が居た。逆に、逃げ続け、生き延びる事を重要視した結果コウモリやトカゲの様な奴も居た。今の雷電は単純に言えば「認識・行動の物凄く速く、身体能力の高い人間」である。装甲車程度で挑まれても敵ではないし、一対多の戦闘もそう苦ではない。
 けれどもそれは人間か、対人間の兵器等が相手の話だ。自分と同じ調整を施された強化外骨格が襲いかかって来たらと思うと、不安は尽きない。演習中には良くある事だったが、単独行動で仮眠を取ろうとして、警報装置を用意して地下で電波的にも音波的にも黙って潜んでいても、いつ来るか解らないそれが怖い。どんな敵が、どんな手段で、どんな数で……。
 「仮想敵」を考える時程怖い時間はない。幾ら考えても考え足りない。自分の脱走前の様々な経験や記憶だけが頼りだ。そう結論づけて考えるのを止めた。
 ベッドに寄りかかる様に、荷物のリュックとブレードが置かれていた。リュックの中からパックの食糧を取り出す。外見はゼリー状スポーツドリンクや栄養補給剤だとかによく似ていて、中身は生体部品の為の物質が調合されたゼリーだ。味はない。飲み口を噛み切って口に含みながらパックの残量を確認した。一日一つとして、二週間は保つだろうと思った。
 自分で用意した荷物ではないからまだ碌に中身の確認をしていない。危険物は無いという事位しか知らない。隙間から差し込んだ短いブレードの他に、食糧・新品のステルスシート・高周波ブレードの保守用ナノマシンの予備等が入ったシガレットケース缶。更にリュックの底には、銃弾ケースが入っていた。ただの弾ではない事はケースの大きさから良く解った。この弾丸は強化外骨格用の徹甲弾だ。十発入りのケースが全部で三つ。弾があっても肝心の銃が無いなら意味がないと思って溜息を吐いた。
 けれどもよく見れば、紙に包まれた銃らしい形の物がある。包みを解いて出てきたのは、中折れ式信号銃を二回り程大きくした銃だった。
 しわまみれの包み紙にボールペンの走り書きで、銃は演習地で研究者が強化外骨格の被検体達から身を守る最後の手段として持たされた物だと短い説明が添えられていた。対強化外骨格の徹甲弾の口径の都合によって単発式にならざるを得なくなった様だ。雷電は対強化外骨格狙撃銃でこの弾を使った事があるが、どう考えてもあの弾をただの人間が撃とうものなら、反動が強すぎて肩がもげるかもしれない。デザートイーグルも裸足で逃げ出すハンドキャノンである。
 念の為弾を薬室にかざし、次いで、差し込んでみると誂えた様に収まった。これで銃弾が使える。荷物に一切の無駄は無いらしいと思うと少しだけ安心した。
 もう一つ、杖や傘程の長さの剣がある。鞘に収まりホルスターに繋がったまま、リュックと同じ様にベッドに寄り掛かっている。剣と言ったが、厳密には反りのある片刃の刃物で、形状は日本刀に似ている。
 雷電のもう一つの持ち物であり、銃よりもこちらの方が主装備だと認識している。長短一揃の高周波ブレードについては、長刀の方は脱出前の演習で、使用時間の制限や直径一メートル程度が一息で完全に切断できる上限であるという弱点を知っている。短い方は長刀とは構造が異なり、また、強化外骨格の体では磁気障害を起こす為使えないし、何よりリーチが不満である。
 演習前に読む気も失せる厚みの取扱説明書を貰ったが、戦いの最中に目を通す暇もなく、一緒に渡されたQ&A方式のA4一枚の紙で事足りた。
 防水紙に印刷され、でかいホチキスで綴じられた説明書の手前の頁に、大きな付箋に「ここだけはせめて読んでおけ!」と書かれた部分を開くと、蛍光ペンで線を引かれた見出しと、ノートを破って書いたらしい紙が挟まっていた。
 「旧来型との違いについて」……従来の高周波ブレード類と現行型に採用した技術で大きく異なる点は、刃部分の素材と素材の変化における保守技術の変化が挙げられる。従来の刃部分は主にステンレス鋼材等を用いて剛性を高め、実戦に於いてまず破損しない事を目的に作られていた。しかし、現行型はナノマシンによって保守技術も携行を可能とした炭素繊維である。これによって周波の出力やブレード自体を大きくして人間から戦車までを力技で「圧し切る」使用方法は適切ではなくなった。二メートル程度の対象を垂直・水平面で両断する、包丁の様に刃の「引き」を重視した刃物としての使い方が適切である。
 ここまでは「せめて読め」と言われた見出しの文である。頁をめくってみるとプレゼンテーションの資料を流用しているらしく、旧式のブレードの写真やグラフが載っていた。次に、ノートの方を読んだ。
 !補足! つまりは、もしもライデンの事を追い掛けて来る奴が装備しているとすればステンレス刃の旧来型しかあり得ない。仮にデータを復元できても製法は二重三重に暗号化しておいたし、文書を元に数式無しで、炭素繊維の編み込み・硬化技術を復元するのは相当な手間がかかる。何より現物はライデンの手許にしかない。旧型ブレードを人間大の者が携行するなら長ブレードとほぼ同じサイズで、バッテリーパックを背負ってでも大振動を発生させて炭素刃を無力化させる戦法を取る可能性が高い。しかし、重装甲型の者が高周波ブレードの類を装備しているとしたら、剛性を高くした鋼材でより大型の物を作ったり、ブレードを諦めて大砲や機銃みたいな物を持って来る可能性もある。その場合発生可能な高周波の最大出力は不明だ(蓄電池の性能や強化外骨格のデザイン、更にブレードのサイズによって異なる為)。そして、遠心力でヘッドスピードを増して襲ってくる戦法も考えられるので、そうなれば勝ち目は無い。同封した銃で敵の腕自体を絶つのが効率的だと思われる(けれども敵が自分より大型で鈍重だと判断出来れば、高機動強化外骨格の性能なら接近戦も可能と考える)。ブレード同士の戦闘は極力避けるように。チャンバラ禁止。 C
 ノートの最後の、アルファベットたった一文字の署名の主が、雷電をここに導いてくれた切っ掛けだった。我が侭で頑固で、相手の弱点を調べ抜いて揚げ足を取るのが上手い嫌な奴だと最初は思っていたが、今は、研究熱心でこだわり屋で、我を通したがる性格が無闇やたらと強い奴だったのだと思う。雷電にブレードと装備を渡して逃げろと言って、自ら命を絶った。
 これから俺はどこに行くのだろう、誰が待ち構えているのだろうと思いを巡らせるが、さっぱり想像が付かなかった。「仮想敵」より想像出来ない。
 取り敢えずフーに、目が覚めたと言おうと思った。
 立ち上がった途端にごん、と鈍い音が頭蓋に響く。ふらふらと光る切れかけの蛍光灯が二本天井にくっついているのが目の前にある。雷電が頭をぶつけたのは階段の裏らしい斜めの天井で、床から一番高い部分まで二メートルあるかないかという感じだ。ドアは百八十センチ程の高さがあるが、多分くぐらなければならないだろうと思った。逃走前に教えて貰った現在の自分の身長は百九十センチだ。
 コンクリートの向こうから弱い電波が漏れている。誰かが操作しているらしく、時折出力が強くなる。そっと部屋を出て、電波の方を見に行く事にした。
 そこに居たのはフーではなかった。中年太りした気合のないジャッキー・チェンの様なフーとは反対にやせ気味で、しかし、同じ極東の辺りの出身らしい、そばかす顔の若い男だった。ベンチコートを着て、古くさい机や椅子の並ぶ部屋の真ん中のストーブの前で、パソコンで何かの動画を観ながら、手作りらしいトーストサンドイッチを食っている。サンドイッチを食べ終わり、灯油ストーブの上に置いた薬缶の沸き具合を見て、インスタントコーヒーを淹れようと立ち、そして雷電にようやく気付いたようだった。手にしたマグカップと瓶を机に戻すと廊下から覗き込んでいる雷電のもとへ寄って来た。
「おはよう。具合はどう?」
 まるで同居人に話し掛ける様な口調だが、少し緊張しているのが解った。英語母語者ではないらしく、一つ一つの単語を馬鹿丁寧に発音する喋り方だ。
「……随分寝てたみたいだ。今日は何日だ。フーはどこに行った。あんたは何だ」
「今は二十一日、えーと、午後七時過ぎ。店長は寝てる。俺はオーサンだ」
 オーサンはそう言いながら雷電を廊下に押し戻した。
「あそこは窓がある。雷電は出来るだけ外から見えないように気をつけて」
 窓にはブラインドカーテンが掛かっているが、閉ざされている。それでも僅かな隙間から外の夜闇が見えた。俺をここでも閉じ込めるのかと言いかけたが、雷電は何とか頷いた。
「何でかと言うと、ここはゴールではないから。でも行き先は決まっているし、退屈なら俺が雑誌でも代わりに買いに行く」
 オーサンは雷電の不服を読み取ったのか、一応の自由がある事を付け加えた。
「……あんた等は何だ。Cとはどんな関係だ。何て組織の手下だ」
「C……誰、それ?」
 いきなり知らない奴の名前を出されたオーサンの間抜けな表情は、演技ではなさそうだった。
「じゃあ訊くが、ゴールってのはどこだ?」
「具体的には……俺は空港としか聞いてない」
「ふざけるなよ?」
 雷電はオーサンの胸倉を右手で引っ掴んだ。掴んだまま廊下の奥の方に引き込んで、まだ吊し上げたりはしない。
「本当。俺は今は店長の指示で留守番とかしたり、ルートを検索したりとかのサポートだけしかしていないから、それだけしか店長から聞いていない。これは本当」
「何を企んでいるんだ」
「店長が知っているます。店長の昔の知り合いから連絡を貰って、それで君を迎えに行って、空港に連れて行くって言う流れしか……」
 強化外骨格の腕には人間の重量は恐ろしく軽く感じた。雷電は知らないと言い張るオーサンを自分の目の高さまで吊し上げ、壁に押しつけた。肋骨を圧迫される痛みに、オーサンが引き攣った悲鳴をあげる。
「ちょうど、八時から依頼主と連絡を取るんです。その人が君を連れてきてくれと頼んでいる人なんです。ここで俺を殺しましたら、店長はパソコン操作出来ないから、君の疑問も何も、解決出来ない……」
 絞り出す様な声で必死に言うので、雷電はオーサンを解放してやった。少し前屈みになって、胸の真ん中を押さえて咳き込みながら息を整えている。
「雷電……」
「何だ」
「店長は、病人ですので……こんな事は店長にはしないで下さい頼むから……」
 息継ぎと咳の隙間からまだ苦しそうにオーサンが訴えた。
 雷電は普通の人間とは言い難い風体の己と、暴力を振るったにも関わらず自分に構い続けるオーサンに、今更ながら違和感を感じた。もっと早く気付くべきだったと思う。隔離され、改造され続けた二年間は自分の意識も大分変えてしまった様だ。
「あんたは、俺を見て何とも思わないのか?」
「人間だと思っている。そう、俺は思っている……。でも、そんな風になったのを話して貰ったら、相当長くなるだろうから訊かないのが良いと思うだけ」
「あんな事をしたのに?」
「君と俺の立場が逆なら、俺も疑問に思うし、何としても理解したいと思うよ……」
 やっと息が整ったらしいオーサンがゆっくりと背筋を伸ばした。まだ胸を押さえている。
「済まない。悪かった」
「いや、俺も、あんまり自分の仕事に関心持ってなさ過ぎた。店長にサポートだけすれば良いって凄く注意されてたから……」
 オーサンがいつまでも吊し上げの事を謝るので、雷電はうんざりしてきた。一応こちらも謝ったのだし、無理矢理にでも話題を変えようと思った。
「オーサン。本当は、俺の事を色々訊きたいのか?」
「え? ああ、まあ……訊きたいですが……。店長からはよく、お前は他の人の事に首を突っ込み過ぎるって注意されているから、我慢してる。訊かない」
 オーサンは「店長」と呼んでいるが、多分フーの事の様だ。顔形からして二人が血縁者同士には見えないが、一応訊いてみた。
「フーはあんたの親父さんか?」
「違う。俺が昔旅をしていた時に、トラックのバッテリー上がって動けなくなってる店長を助けて、そのままここに居続けて、泥棒が入らないように見張ったりする仕事してる」
「……フーに会ったのもその性格の所為なんだな」
 オーサンが苦笑いした。失敗した、とでも言いそうな笑い方だった。
「そうですねー。寄り道して路地裏覗いたりする感じが好きですけど、そういう風に生きていたら店長に捕まってしまったわけだ。あ」
 オーサンが何かを思い出した様で、ちょっと失礼、と言って暗い廊下の突き当たりの部屋に入った。付いて行って見てみれば、小さなキッチンに冷蔵庫と電子レンジがあるだけの、あの部屋に似た最低限の物だけを置いている、寒々とした印象を与える空間だった。焼き上がったトーストにオーサンがツナやレタスを盛っていた。
「これは店長のご飯。雷電は、何か、食べたい物は無いです? すぐ作る――」
「要らない」
 そもそも雷電は既に、オーサンやフーと同じ食事をする事すら叶わない。市販のサプリメント位なら辛うじて摂取できるだろうが、トーストもサラダも無理である。要らない、と言う突っぱねた物言いにオーサンは不満そうだった。
「そうですか。でも店長があんたは何で動いてるんだって不思議がっていた。電気やガソリンじゃないみたいと俺は思うけれど、目的地に着くまでに壊れられたら困るとか心配していた。その辺は、自己管理できるようになっているの?」
「出来る」
 雷電は経験上、最長一ヶ月は正規メンテナンスを受けなくても動けると知っている。けれどもその先は、と自問した。遠からず体の各部に支障が出るのは明らかだ。どうすれば良い。Cは本当にその辺りを考えて荷物や人手を準備してくれていたのだろうか。
「なあ」
「はい」
「俺が休んでいた部屋の煙草は誰のだ? 客の忘れ物か?」
「あれは俺の」
 事務所の壁に色あせた「NO SMOKING」のポスターがあった。嗅覚は昔に比べてめっきり落ち込んだが、煙草の匂いは覚えている。けれどもそれがしない。
 オーサンは最近煙草を吸い始めたのだろうかと思った。一方で、一緒に置いてあったライターは相当長い時間使わなければ発せない年季を漂わせていた。多分ジッポーだと思うが、表面の摩耗が激しくて刻印も読めなさそうだった。
「吸うのか?」
「違います。……えーと、お守りです」
 お守りなら、煙草の味も匂いも話題にならないと思って止めた。多分オーサンは煙草を吸っていない。それに、お守りとか言って験担ぎに持ち歩く小物に、聞いて楽しい話があった試しがない。曰く、死んだ母の形見、尊敬するミュージシャンと同じ何とやら、滅多に会えない家族の写真、云々。
 オーサンは喋っている間も手を動かし、ツナマヨ・コーン・レタスと、卵ペースト・トマトの輪切り・炒めた玉ねぎの、二種類のトーストサンドを作った。トマトを輪切りにして、下拵えしてあったらしい玉ねぎを挟み込む。オーサンの手際は良い。予めタッパーに入れてある食材をそのまま挟んだり、切ったり、半分余ったトマトをラップに包んで冷蔵庫に突っ込んだ。鈍い銀色のキッチンには皿に載ったサンドイッチとまな板と包丁だけが残っていた。世の中にはコンピュータみたいに料理をする奴も居るんだな、と雷電は変に感心した。ハンバーガーショップの店員みたいだった。
「野菜が多いけど、ベジタリアンか?」
「ちーがーうー」
 オーサンの口調が更に変になった。雷電を見上げながらじっとりと睨め付ける。
「サシミやスシと同じで、なるべく新鮮な物を食べた方が美味しい、体に良い、お金がかからない。それに俺は肉もちゃんと食べる、ウィンナーもサラミもツナ缶も卵も大好きだ。ついでに言うがスパムは嫌い。それだけ。屁理屈こねる変な人と一緒にしないでな! ……と、失礼」
 オーサンは口を尖らせ、むくれた子供の様に不機嫌な口調で説明した。昔、ベジタリアンがらみで何やら嫌な目に遭ったらしい。ぶつぶつ言いながら包丁を仕舞い、次にトレイを出してサンドイッチと牛乳瓶を載せて入り口を塞ぐ雷電に退く様に促した。
「取り敢えず、俺はベジタリアンとは違う。でも、話が変わるけれども、一緒に飯を食べられないって言うのは、とても残念だと感じるよ。雷電」
「えっと……フーはどこだ?」
「さっき言ったけど、寝てます。起きてるの知らないでまだ寝てると思うし、一緒に行きましょうか」
 オーサンはそう言って歩き出した。付いて行けばフーが居る筈なので、雷電はオーサンを追い掛けた。

 


■全体が完成してから掲載しようと思いましたが、それじゃいつになるんだとセルフ突っ込みして、切りの良い所で上手く落ちを付けて一括りにしてうp、という形態を頑張って取る事にしました。展開的に、全部で4パートになりそうな予感です。
■前作を読んでいない人でも解りやすい様にするのって大変ですね。
■オーサンの話し方が変なのは英語母語者ではないからです。
■大型車ではなくミニを出したのは単に好きだからです。実際にクーパーSを見た時の何とも言い難い渋さと甘さの同居した雰囲気が好きです。
■蛇足。私と父とミニのお話。昔々、昭和40年頃に祖父が父に車を買ってやる、と言うので小型車の癖に馬力のあるタイプの車が好きな父が「ミニクーパー下さい!」と頼んだところ「百万出して軽自動車買うとかどんな神経してるんじゃ!」と怒鳴られ結局買って貰えなかったそうです。違うよ爺ちゃん、ミニは1000ccあって普通自動車扱いなんだよ……。


■うpしたからには誤字以外の書き直しはしません宣言!!


前作今作共に読んで下さった皆様へ、私信。
昨年11月に白雷電経由で急速にMGSに嵌り、時系列も解らないままプロットも無しに一気に書いた話を読んで下さりありがとうございます。
今申せるのはただそれだけです。今度はこの話を、雷電達をゴールさせるべく頑張るのみです。

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