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その赤の名は 馬岱編「ひなげし」

注意書き

SR魏延が結構粗暴な性格の女の子な小説の連作集です。
「魏延とDS馬岱のなれそめ(?)」的な話です。本当は魏延とDSの掛け合い・おちょくり合いを書きたかったのですが中々イメージできずに今回の様な形になりました。
初出は2011/10/30発行の冊子版「その赤の名は」です。


以上の事を踏まえて、ご了承いただける方のみ「つづきはこちら」からどうぞ。
フォントサイズが大きくなります。

 夜遅く。月はかけらほども見えない程に曇っていた。
 劉備との密会を終え陣営に戻った馬超を、銀色の鎧を着て影武者として前線に立った馬岱が迎えた。
「え? 俺か? 鏡じゃないのか?」
 そう言ってふざける馬超に、馬岱は微かに頬を緩ませながら拱手して、昼間の馬超陣営・劉備陣営などについての報告を始めた。
 劉備軍にこれと言った動きはない。変わった事と言えば、今日、単身自陣奥深くに切り込んできて、「馬超」の首級を挙げようとした者が居るという事だった。自分が危うく斬られそうになったはずなのに、馬岱は淡々と語った。
「どんな奴だった?」
「魏文長と名乗っておりました」
「ちょっとだけ聞いた事がある。がむしゃらな攻め方をするとか、老将の黄忠とかと張り合っているとか」
「赤毛の、背の高い女でした」
「あれ、女だったんだ」
「鎧などで体格は解りづらいですが、声が高かったので、女かと思われます」
「宦官だって声は高いって聞くぞ」
 そんな奴は居て欲しくないなぁと笑って答える馬岱だが、そんな雑談よりも、自分が携えて帰ってくるはずの報せの方を期待しているようであった。
「……張魯を見限る。劉備に降ろう」
「はい。承知いたしました」
 同じ名字を冠する一族の生き残りの従兄弟は、二つ返事で承諾した。
「いつあちらへ向かいますか」
「劉備とは三日以内と約束した」
 では、もう引き払う準備をしましょうと言う声に、馬超は頷いた。
「劉備に降ってから、また俺は忙しくなると思う。多分あちらも、周辺の……特に西方で暴れる羌族どもを黙らせて欲しいと思っている筈だ」
「錦のカカシですか」
「まあ、そう言うな。……実際そうだけどな。張魯に身を寄せてからずっとこの方それだった。けれども上手く扱ってくれない」
 それに、屈辱的だった事がある。張魯が馬超を繋ぎ止めようとして自分の娘を娶らせようとした時、「一族郎党二百人余りを皆殺しにされて平気な顔している人間に、娶っただけの赤の他人を大事にして守ってくれる事が出来ようか」と言われて結局取り消しになったのだ。平気な顔なんかしているつもりはなかった。これも乱世の定めだと割り切ろうと自分に言い聞かせていた所を抉られた。腹立だしかった。どいつが言ったのかは馬岱から聞いているが、余計な波風は立てたくなかったから放って置いた。
 米賊なんて、カカシも無くなって、雀にでも食い潰されれば良い。
「俺は西方で羌族鎮圧に当たる。それで伯瞻、お前に頼みたい事がある」
「情報収集・提供と後方支援でしょう。言われなくとも大丈夫です」
「そうじゃない。お前には、劉備軍の名のある奴との結び付きを作って欲しい。情けない話だが、今のままの俺では劉備達の陣営では孤立している。武力だけだ。俺は戦功を立てるが、同時進行で、劉備軍の、なるべく若くて名のある者と親交を深めておいてくれ」
「取っかかりがまるでありませんが……」
「今日お前の首を狙った奴なんかどうだ」
 馬岱は笑って、冗談じゃありませんとだけ言った。
「でも、孟起殿が見立てるのでしたら、確かかも知れませんね。当たってみましょう」
「うん。魏延はがむしゃらな所はあるが若いし、お前が来そうな所に潜んでいたんだろう。いつ来るかも解らないのに、単騎でこんな事する奴はそうは居るまい。戦に関しては勘も良さそうだし、出世するだろう」
 貴方がそう見立てるのであれば、と馬岱は納得した様だった。しばらく頷き、考えてから、やりましょう、と再度答えてくれた。
「ところで、俺の鎧着てみた感想は?」
「やはり、自分の身に誂えた物ではないので、少々動き辛かったです。それに、私が着たところで、見栄えがよろしくありません。やはり孟起殿が着られるのが一番良いかと思われます」
 もう少し自分を大きく評価しても良いと思うのだ。鎧の事だって、自分がこうして見ても、血の近い従兄弟だけあって、引きずっている鎧飾りの一部や体格差さえ気にしなければ、かなりの将のように見えるのに。
 馬超は馬岱の前歴を知らない。馬超の初陣からしばらくしてひょっこりと姿を現し、「従兄弟で、生涯当主である馬超に従う」と誓った事しか喋ってくれなかった。父の馬騰も、馬岱が一体何者なのかという馬超の質問には答えてくれなかった。西涼馬氏の血族の一人であるという事しか知らない。同じ親から生まれた馬鉄と馬休を殺されてからは、弟のように思って接した。
「それにしても、今日は本当に疲れました。孟起殿が暗殺されるのではないかと思っていたら、危うく私も殺され掛けましたから」
「……すまん。いつも苦労を掛けるな」
 馬岱の事を何も知らずにこき使っている気がして、馬超の心の隅に小さな罪悪感の穴が空いた。知らない内に酷い苦労をさせているかも知れないのに、それすら表情に表さない。心の底では帰る家が欲しいと焦がれる程に願っているのかも知れないのに、面でも被っている様に揺るがない。愛想笑いと皮肉と、考え事をする時に眉根に少しだけ皺が寄る顔しか見た事がないかも知れないと、馬超は思った。
「何が?」
 けれども、馬岱にはなぜいきなり頭を下げるのか、通じていないようだった。
「……何か、弾いてくれないか」
「今ですか」
「今が良い。撤収なんてすぐに出来るだろう。お前が弾き続けて、俺は聞き続けて、そうして夜更かしして明日位は自堕落しよう。張魯なんぞ、もう知らん」
 馬超に言われては仕方がないというように、馬岱は苦笑いをしながら胡弓の包みを持ち出して、椅子が見当たらないので窓辺に腰掛けて弓を滑らせ始めた。銀色の馬超の鎧を着たまま、雲の隙間から真っ白な月の光がどこか寂しげに馬岱を輝かせた。
 馬超は馬岱が何者なのかは深くは知らない。歳も知らない。血族である事と、字と、どこで手習いをしたのか胡弓が上手い事と、何も言わずに自分に付き従ってきてくれる事しか知らない。父馬騰も、馬岱本人も、どれだけ根気強く問い詰めても教えてくれなかった。父は知らないと言い通し、本人は薄ら笑いを浮かべるだけだった。だから、馬岱には出来れば蜀の地では心から付き合える人間を捜して欲しかった。そんな、個人的な願いも託して、馬超は提案したのだった。
 どこの曲かは解らない。どんな歌が付くのかも知らない。そう言う音色を聞きつけて、ちらほらと兵卒達が集まってきた。


 馬超軍が劉備の軍門に降るのと成都陥落に前後して、馬岱は魏延の事を調べた。馬超に扮した時の兜のたてがみが上手く自分の地毛を隠してくれていたのが幸いして、野良着を着てただの兵卒の振りをして歩き回り、魏延の傍まで近付いても気付かれる事はなかった。
 従弟の馬超と同じ位の背丈の赤毛の大女で、得物は大刀で、同じ時期に長沙から降った黄忠と、どういう訳だか張り合っている。黄忠は魏延の同僚の老将で、長沙時代は魏延は黄忠に相当世話になっていたようだ。年寄り扱いしてはいけないが、魏延だけが公然とジジイ呼ばわりしていて、負けじと黄忠も魏延をハナ垂れ呼ばわりしている。
 諸葛亮からは初対面で難癖つけられて殺されかけたという。その場に居合わせた者が言うには、諸葛亮が「こいつは絶対に将来に禍根を残し、劉備までも裏切る」と言い張ったのに対して魏延は「そんな事は絶対にしないしする理由がない」の一点張りだったという。
 そして昔、長沙よりもずっと前に劉備の食客の様な事をしていた時期があったらしい。けれどもこれは詳しく調べようとしても、当時から生き残っている面々が大体偉くなって、平民程度が口を利けるような人間ではなくなっていたから詳しくは解らなかった。解ったのは、昔の魏延は今の自分ではすぐに劉備の役に立てない、不甲斐ない、と言って放浪の旅に出て、どういう経緯か知らないが長沙に落ち着いたという筋書きの様だ。
 何故魏延が、自分の主として劉備を早い時期から選べたのに、一旦それを「自分が不甲斐ないのが嫌だ」という程度の理由で蹴ってしまったのかは解らなかった。
 一方で宴が始まり、馬超が劉備達の古参の将官達に挨拶回りをしたりおもちゃの様に取り合いになっている間、馬岱は時間を潰す為にあらゆる事をした。人付き合いが嫌だとか、嫌いだとか言うわけではない。愛想笑いくらいは出来る。しかし、新参者で軍の頭である馬超が挨拶回りをした方がここは一番良いと説得して、宴会には自分は一切顔を出さないことにした。宴に出ているだろうと思われる「赤毛の魏延」を探すのも全部馬超に丸投げした。
 宴会が始まって二日目の夕方に、生き残った将兵達に家を持たせてやりたいという手紙を書いていた。誰に提出すればいいのか解らないが一応丁寧に書いた。そういう時に馬超が宴から帰って来て、魏延が見付かったと言うので付いて行く事にした。道すがら、何故初日に見付けられなかったのかと訊くと、趙雲から、魏延は酒が飲めないという理由で顔を出していないから宴会場で見付けられなかったのだと言われた。
 酒が飲めないなんて嘘だと思った。けれども、宴会という楽しみを捨ててどこかで遊んでいるらしい魏延に面白味を感じたのは確かだ。
 待ち合わせの場所に行っても誰も居なかったから、時間潰しに胡弓を聞かせろと馬超が言うので取りに戻った。その時はまだ赤い夕陽が地平すれすれに半分くらい見えていた。そして、胡弓の包みを持って戻った時には陽が落ちていて、庭の建屋に自分より背の高い人間が三人居るというのしか見えなかった。その中でも高い声音で喋り、身振りが大げさな赤毛の者が一人居た。
 あれが魏延だと気付き、未知の人間への恐ろしさを感じた。変装して彼女のすぐ傍を歩いたし、今まで色んな人間に会って話をして、騙し、殺し、籠絡してきたが、それが通用しないかも知れない。何よりも、自分が負わせた矢傷の事をどう根に持っているのか解らない。その赤毛と仲良くしておくのが一番良い筈だと馬超と相談したばかりだから、会って話さないわけにはいかない。
 自分達の保身の為だという気持ちが脚を動かして、やっと馬超達の中に加われた。
 夕闇の中で魏延は馬岱の事をまじまじと観察し、抱えていた胡弓に興味を持った。矢傷の事は影で聞いていた感じでは、あまり言及して欲しくなさそうだった。
 自己紹介をして雑談をする内に、魏延が、稚気の抜けきらない顔を引き締めて、自分の方を向いた。
「あんた、俺と友達になってくれるかな」
 友達になってくれ、というあまりにも直線的なお願いの仕方に驚いた。劉備の古参達と何かの繋がりを持つ目的の為に渡りに船だという気持ちよりも、その要求のやり口と口上に本当は何か裏があるんじゃないかと思う程だった。同じ歳頃で対等な立場で口を利ける、親しくできる人間が欲しいと魏延が続けた。
「それで、胡弓っていうのも聞かせてよ」
 あれこれ話して、魏延は短時間の内に二つも馬岱に要求した。取り敢えず全部呑んでおいた。ただ、彼女は同じ年頃と言うけれど、自分の本当の年齢は馬超よりも上だという事を言えないままその場はお開きとなった。
 そして、胡弓を聞きたいというただそれだけの理由で、魏延は明くる日の朝一番に馬岱の部屋を訪れた。まだ朝霧の漂う時間帯だった。魏延の来訪で叩き起こされた馬岱は最初は寝間着で対応した。もうちょっと待てと言い、冷えた水で顔を洗い、髪をとかして、普段着に着替えて再度魏延を迎え入れた。腹の中でこいつは常識がないのか、通じないのか、我が侭なのかどれだ、と悩んだ。多分我が侭なのだろうと、馬岱は思った。何歳かは詳しく知らないが、幼さの残る顔立ちや、腹の底と裏表無く繋がっている様にくるくると変わる喜怒哀楽が理由だ。
 馬超はこいつと仲良くしろと言った。必ず出世するだろうと馬超が目を付けたから、その見立てに間違いはないだろう。そして魏延自身も、仲良くして欲しいと言った。歳の近い友達が欲しいという理由で狙っていた様だった。
 朝食代わりにと魏延が干し肉と干し飯を差し出してくれたのは有難かったが、放浪の間にうんざりする程口にしたから本当は食べたくなんかなかった。それでも、好意を無碍にはしたくなかったから食べた。案外、塩が効いていて美味かった。いける美味さだ、と思った。そう思いながら胡弓を手に取り、調弦し、良い音を探し当てた。
 干し肉の一切れを飲み込んで、馬岱は一曲、昨日弾いていた内の一つを披露した。
「なあ、何でこんなの弾いてるの? 何で弾けるの?」
 弾き終わるとすぐに、魏延が訊いてきた。子供のような好奇心丸出しの顔だった。だからちょっとだけ昔話をする羽目になった。思えば馬超も昔、何故こんなのが弾けるのかと訊いてきた。
 馬超が叛乱を起こす前は、様々な土地を旅商人の振りをして歩き回っていて、その間に胡弓を買い、習い、それで弾けるようになった。弦の作り方も知った。何かが弾けるという事は良い事だ。武術の様に体を激しく動かさなくても疲れる事が出来るし、弾いた曲の出来栄えが良かったら金が貰える。
「じゃあ、曹操とやり合っている間もそれを持っていたって事だよな?」
 うん、と頷いて答えた。けれどもそれ以上は言えなかった。
 弾いてくれとせがんでくれる顔見知りが減っていき、空疎になっていき、ついには馬超だけが残った。何度も、胡弓を叩き壊そうと思った。けれども赤子よりも軽い楽器を振り上げる度に、そこで動きが止まる。今もまだ僅かだが聴きたがる人間が居る。自分とこれは、そいつ等に必要とされている。そう思うと即興で滅茶苦茶に胡弓を弾いた。ちょうど腹立ち紛れに主人が臣下を意味無く鞭打つ様な、女が喚き暴れるのに男がねじ伏せる様な、そんな乱雑な弾き方をした。
「ごめん」
「なぜ」
「だって、凄く悲しい顔をするから……」
 俺はあんたの、思い出したくない記憶に手を突っ込んだんだ、と魏延が言った。誰かを痛めつけて楽しむ趣味は無い、もうしないと謝られてしまった。
「なあ、あんたは、笑わずに聞いてくれるかな」
 士大夫共は四書五経を諳んじて見せろと言うばかりでつまらない、武人・士卒の歳の近い知り合いが居ない。だから馬岱達に声を掛けて味方にしたいと思ったと、確かに魏延はそう言っていた。
「俺は、強い兵隊を一丁作りたいって思ってるんだ」
 劉備の手に入れた益州は周囲を山に阻まれた天然の要塞で、土地もそれなりに豊かで、特産物は上等の錦で、どこに出しても恥ずかしくない出来の物だ。
「玄徳様が手に入れた平民と治安を守るには、頑丈な壁がもう一つ位要ると思うんだ」
「だから、兵士を育てたいと?」
「うん。でも、ここの土地の作りを生かした、天然の壁も使えるようにしたい。人間を教育するのも土地を生かした戦をするのも両方やった事がないから、手伝って欲しいんだ」
 やりたい事の形が解るのに、それをどう作ったら良いのか解らない、と魏延が言った。何が解らないのか、と訊くと悩んだ末の一言の様に呟きが聞こえた。
「俺って、相当に馬鹿だから……」
 馬岱よりも世間慣れしていない事や、書類一つ書くのにも時間が掛かる程度に頭が悪いのが汚点で、恥ずべき事だと思っているようで、魏延は自分の欠点を一言でそう評した。
 魏延が胡弓を聞きたいと押しかけてきたのは単にこの話を切り出したい切っ掛け作りだったかも知れないが、手伝おう、とすぐに答えた。
 それなら話は早い、と魏延に問答無用で手を捕まれて、彼女の部屋らしい所に連れ込まれた。書庫から借りてきたらしい竹簡や、私物の竹簡が籠に詰め込まれている、一見勉強家に見える部屋だった。全くの私室の様には見えなかった。
「ここは何の部屋ですか」
「俺の部屋だけど?」
 何度か同じ問答を繰り返した。何の目的の為の部屋か、と改めて質問してやっと「勉強の為の部屋」と教えてくれた。隣に小さい部屋が続いていて、そこは魏延の完全な私室の様だが、片付いていなかった。あまり女性の部屋を勝手に漁るのもどうだろうかと思いながら片付けだしたが、逆に有り難がられ、魏延は気にしていない様だった。物自体は多くはなかったから、片付けるのに時間は掛からなかった。具足や刀剣に混じって、厚手の革鎧が出てきた。頭から被って腰の辺りで縛る物らしいが、肩から脇に掛けての空きが相当大きく取られているし、縛る腰の部分は緩かった。
「これ、何ですか」
「ああ、それ、俺の体型隠す奴」
 益々話が分からない。そう思っていると、魏延がやおら袍を脱ぎだした。ちょっと待て、と制止するより早く魏延は上半身を剥き出しにしてしまった。肩幅はそこそこある様だが、包帯か何かで押さえ込んだ胸の厚みと、へその辺りの腰回りの細さの落差は明らかに男とは言い難い。更に、騎馬に乗る為に鍛えた尻と太腿の太さがそれを強調している。
「……解った」
 もう、そう言って片付けに戻るしかなかった。取り敢えず、これは捨ててはいけないらしいという事が解ればいい。袍を着直した魏延が寄って来て片付けさせて悪いな、と言い、更に顔を近づけて囁いた。
「何とも思わないの?」
「何を」
「俺の体見て、何か思う所は無いの?」
――筋肉質だけど明らかに女の体で、今は押さえ込んである様だけど胸が大きそうで、触ってみたいと言えば多分あんたは怒るだろう。腰が細くて尻がそれだけ太いから、今の革鎧が必要だったんだな。
「普通、友達にそんな気持ちを抱くもんじゃないと思う」
――もっと言えば、抱き心地の良さそうな女だ、惚れるね、嫁になってくれないかな。
 革鎧の理由と、彼女の体を拝んだ感想はともかく、ありとあらゆる一般的な美辞麗句や冗談が魏延には通用しないと思って、馬岱はそれだけしか言えなかった。多分魏延もそう言われるのを望まず、わざと挑発してきたのだと思う。
「へぇー」
 魏延の返事はどこか不満そうで、見え透いた嘘を吐くなよ、と言っている様にも聞こえた。
「ところで、一つお伺いしたいんですが」
「うん、何でも訊いてよ」
「色々な方にお話を聞いて回った所、長沙で劉将軍に会うよりずっと以前に、貴方は彼と知り合いだったそうですね。なぜ、そのまま留まっておかなかったのですか」
 ちょっと長くなるかも知れない、と言って魏延が座るように促すので、馬岱も床に座った。魏延に倣って胡座をかいた。何気なく見た魏延の脚の間、腹の下の部分には何の形もなく、本当に女なんだと確認するだけに留まった。月の物はどうしているんだろうかという疑問が頭をかすめるが、訊かない方が良いと思った。
「まあ一言で言えば、惚れたからだよ。でも、あの時の俺じゃただの中途半端な足手纏いだったから、まあ、解りやすく言えば、逃げたんだよ。恥ずかしくて」
「武人として最低限の力も持っていないから、と?」
 うん、と魏延が答えた。馬岱は劉備の夫人になる事は考えなかったのかと聞きたかったが、止めておいた。
「よくね、皆からからかわれて嫁さんになる事は考えなかったのか、って言われるんだけど、俺の方から願い下げだよ」
 けれども逆に、魏延から話し出してくれた。
「惚れていて、好きなのにですか?」
「惚れているのと、抱かれたいのは別だ。俺は男に抱かれるのが色々あって大っ嫌いになって、そんなんじゃ誰かの嫁になる事自体が無理だって知っていたから、こういう道を選んで、でもって何とか生きてきた所に玄徳様に会えた。で、生まれて初めてその時に抱かれるのが嫌だってのを後悔した。随分長い事無茶苦茶嫌いになっていたから、もう直しようがなかった。後、あの時の玄徳様のお嫁さんがとても優しい人で、俺はあの人みたいにもなれないと思って、だから逃げた」
 だから魏延は男としての生き方を選び続けたのだろう。そして、武術をやって馬を乗りこなしてみせるだけの力量や才能が潜んでいて、何より、背が高くて見栄えも良かった。
 天の、人間に対する才能の振り分けは気紛れなのか、それともたまたま魏延が生まれた家は男も女も背が高くなる血筋で、武芸の能だけが天からの授かり物なのかも知れない。
「俺は中途半端なんだよな、何でもかんでも。でも、それなりに役に立ちたい。玄徳様の目指す天下を作るのに、手伝いがしたい」
 魏延が少し笑って言った。
 良い笑顔だと思う。中途だからという気恥ずかしさからその笑みが来ているのかも知れないが、蕾がほころぶ様な小さな笑い方が馬岱の胸に落ちた。
 けれども、友達で居ようと言ったばかりだ。


 劉備達が宴を続ける一方で、馬岱と魏延は「勉強部屋」で互いの案を出して話し合い、時折宴の席にお義理で顔を出しつつ、美味そうな料理をくすねて来た。竹簡に案を書けるだけ、沢山書き続けた。上奏用の清書の紙に手を出すのがいつも惜しかった。もっと色んな事を盛り込みたいと言う魏延の熱意に引き込まれたし、何より、がむしゃらに胡弓を弾くよりも有意義だと感じたからだ。
 竹簡まみれの部屋で魏延と寝起きして、馬岱が居ないと探し、覗きに来た馬超にお前等一体何やっているんだと呆れられて、兵書を読み漁って内容の難易度に分けて抜き書きした教科書の様な物を作ってみたりしている間に、計画書は何度も書き直されて、緻密になっていった。
 何日もかけて訂正と上書きを繰り返した計画書が、やっと下書きを経て、紙に上奏文として清書出来た。
 魏延が連名で上奏しようと言ってくれた。有難いが、断っておいた。最初の内はごねていた魏延も、自分の本領は士卒育成とは別にあり、本来はそちらに責任があるからだと説明すると、ようやく納得してくれた。
 正式な上奏は宴が終わってからにしたい、と魏延が先走った事を言ったが、何日もぶっ続けで魏延に捕まって手伝った馬岱は、疲れていたし、上奏の日取りの事はどうでも良かった。魏延の部屋から馬超軍の区画は遠かったので、早く横になりたい一心で下書きや抜き書きで使った竹簡を片付けて、床に寝転がった。その後の事は覚えていない。
 気が付いたら毛布を掛けられていて、宴の料理を貰ってきたらしい物が部屋の隅にあって、目が覚めたらそれを食べてまた寝て、というのを数回繰り返した。
 その内、兵書の文言と、上奏文の体裁の書き方で文字が詰まっていた頭の中が、やっと空になった。
 寝るのも飽きて、自分達の成そうとしている内容をやっと、他人の冷めた目から見られる頭になったと思った。出番を待っている上奏文の下書きの方を開いて読み直した。
 冷えた頭で感じた印象は、「若く、突っ走る力だけはやたらとある文」だった。魏延のやろうとしている事は、単に士卒の育成だけではなかった。その更に下の段階の、読み書きもままならない貧民達まで教育しようとしていた。多分ここは切って捨てられるだろうと、何となく馬岱は思った。この層の教育は儒学の研究の片手間に論語を教える田舎儒者の仕事だ。金を使わなくて良い所はとことん使わなくて良い様に、切り詰められるだろう。けれども魏延は、これを重視している様だった。理由として、教育の程度問題を挙げていた。田舎儒者と一口に言うけれども真面目に研究に没頭して居る奴が居るかと思えば、それらしき真似をして親から無駄金を巻き上げるだけのつまらない奴も居る。もっと酷い場合だと下働きの見返りとして教育してやると偉ぶる奴も居る。云々。
 自分が関わっておきながら、何故突っ込まなかったのだろうと思う。こんな甘ったれた理想もいい加減にして欲しい文は、真っ先に指摘して削除させている筈だ。眠気で頭が回らなくなったか、魏延の勢いに引き込まれて感化されてしまったのだろう。
「あ、やっと起きたな」
 そう言う声に振り返ってみれば、魏延が盆を持って立っていた。
「今まで飯運んでくれたのはあんたか」
「そうだよ。上奏文は色々と無理を言って振り回して疲れさせてしまって、申し訳無い事をしたよ。差し入れだ」
 盆の上には何種類かの果実があった。見た事のない形をした物もあった。
 文が一つ書き上がった事と馬岱と意気投合出来た事が相当に嬉しかったのか、この数日間の飲食に関する世話を魏延がしてくれていた様だ。どれ位自分が寝ていたのか知らないが、空いた食器が溜まる一方という様子は無かった。
「この上奏文なんだけど、訊いておきたい事がある」
 うん、と魏延が頷いた。
「あんたが上奏したいと思っているのだけどな、冷静になって読んでみたら貧民に対する教育って言うのは、多分、真っ先に切り捨てられる。けれどもあんたはそこをどうしても通したいみたいだな。一番理由が長く書かれていた」
 どうしてだ、と訊くと、自分を見据える魏延の橙の瞳が赤くなった。
 橙の、燃える蝋燭の様な色の筈だったのにと思った。
 昔の話だ、とぽつりと魏延が言った。真っ赤に染まった目玉で、まるで馬岱をいけ好かない相手でも見る様に睨め付けていた。あんたにはこんな世界があることは絶対解りはしないと、続いた。
「昔、俺がまだ餓鬼だった頃、読み書き計算が出来るのに色々あって、結局妓楼に売り飛ばされたんだ。けれども、これから話すのはそれよりもっと、もっと昔の話だ」
 普段は異性として意識する事の少ない魏延の口から、「妓楼」という言葉がこぼれ出た。「昔、妓楼に、」とここまで聞けばもう身の上話としては殆ど聞いた様な物だ。自分は、魏延の触れられたくない部分に、土足で踏み込んだのだとようやく解った。
 魏延の腕が胸倉を掴んでいた。是が非でも、ここまで聞いたからには全て聞かせなければ気が済まないという顔をして、魏延は馬岱を引き寄せた。
「……もう良い、何となくあんたの言いたい事は解った気がする。妓楼のずっと前に、大人に騙されたんだろう」
 違う、と魏延は怒鳴った。明らかに殺意に近い感情がこもった声だった。魏延が以前、馬岱が胡弓を聞かせる相手が居なくなって寂しい気分になるというのを思い出しただけで謝ったから、早めに自分も、と思ったのに、一向に相手に伝わっていなかった。
「あんた等には永劫に解らないだろうから、今、ここで、しっかり話しておいてやる」
 真っ赤な鮮血の色に染まった視線が、太い釘の様に馬岱の頭の中に突き刺さった。
「昔々、大層お馬鹿な女の子がある貧乏武家に生まれました。武家と言ってもそこらの農民と変わりないお家でな。女の子は、日の出前から日が沈んで夜目が利くまで働き続ける親兄弟達を見て、文字さえ読めて算盤が出来れば貧乏から逃げられるかも知れないと思って、村で一番頭が良いと評判の「先生」の所に、教えて下さいと頭を下げに行きました。なぜそんな突飛な事を思いついたのかと言えば、女の子のお父さんは文字の読み書きが出来なかったのに、隣に住んでいる人は読み書きが出来て、家も家族の身なりも小綺麗だったからです。でも「先生」の弟子は笑って女の子を追い返すばかりでしたが、それを毎日見ていた「先生」がある日、女の子に文字と算盤を教えてあげる代わりにお金を持って来られるかなと訊きました。女の子の家にはお金がありませんでした。女の子は相当な脳足りんでしたがそれでも、盗みをしてはいけませんという事は解っていました」
 低く小さく呪う様な声で素速く、魏延は一気にそこまで喋った。
「それで、どうしたと思う?」
 馬岱は首を振った。話しの流れが本当に解らなかったし、何よりも胸倉を掴んだまま自分に馬乗りになり、逃すまいと大腿で胴を締め上げる魏延が恐ろしかったからだ。何か言うだけで殺しうな気配が魏延にはあった。魏延の話す「先生」とやらが、たとえ論語の一説でも教えてくれそうな額を持って来ても、まともには取り合ってくれないだろう事も予想できる。今の自分達には。けれども、当時の必死だった「女の子」にそんな事は解るまいし、その後に起こる事も予想は出来なかっただろう。
「いっぱい探しましたが、お家にはお金がありませんでした、と素直に、律儀に、馬鹿正直に「先生」に言いに行きました。――普通の商売ならここでお終いだよな? 金が無いんだから――でも、「先生」は大層優しく微笑んで言いました」
 魏延の目玉の赤みが増している。危険すぎる、頭のいかれた人間を相手にしているような気がして馬岱は生きた心地がしなかった。胸倉を掴んでいた手がいつの間にか上にずり上がってきていて、肩を握りしめていた。逃げたかった。魏延は以前男に抱かれたくは無いと言っていたが、他はどうなのだろうか。交わらずとも、痛めつけて喚き転がる様を見て喜ぶ奴だって世の中にはいるのだ。魏延が自分の身の上話の勢いに乗って滅茶苦茶に、むしろ壊そうとする様に扱われるかも知れないと思うと逃げたかった。
「陽が落ちたらここに来なさい。そして、服を脱いで――」
 何も知らない子供を騙して無理矢理犯したという話のようだ。しかしそのお陰で魏延は文盲にならずに済んだ。しかし、どれだけの間、学問の対価に体を売る真似事をしていたのだろう。いずれ家族に露見する時が来る。なんて淫乱な糞餓鬼だと家族には見捨てられ、妓楼に売られたのだろう。大筋としては多分そうだ。これ以上魏延に語らせるのは彼女にとって何の益もない。人生の一番嫌な部分を無理矢理思い出させて侮辱の上塗りをしている。
 その昔話を無理矢理にでも終わらせる為に、馬岱は魏延の唇にかじりついた。腕と上半身だけの力で持ち上げた頭は重く、普段から鍛えている筈の体のあちこちの筋肉がすぐに小刻みに震えだした。血の味が口いっぱいに拡がった。切れたのが魏延の唇でない事を願うしかなかった。前歯をぶつけ合ってしまって、顎が痛かった。塞ぐだけで良い。話しをさせないだけで良い。紡がせなければ良い。それだけだ。赤毛の彼女がまだほんの小さな芽だった頃の記憶の頃で止めてやって、そこから先に進ませなければ、どんな手段だって構わない。
 胴を締め上げた大腿の力が緩んだ。息が多少し易くなった。彼女の腰と膝が砕けた様で、肉の温かさのある重みがずしりとのし掛かってきた。馬岱も寝そべる姿勢になるようにと、持ち上げた上体をそっと倒した。魏延の手が落ち着きを取り戻した様に肩を掴むのを止めた。唇の上を魏延の舌が這い回った。血を舐め取っているのかも知れなかった。
 それが離れ、赤い頭が馬岱の頭のすぐ横に落ちる様に並んだ。血の味の塊が喉まで伝って流れていった。しばらくつばを呑む度に、血の味がした。馬岱の上に覆い被さって、やっと落ち着いた様に、荒い息を繰り返す合間に彼女は、間を飛ばした話の最後の締めくくりの言葉を吐いた。
「……そして最後に女の子は「先生」を滅多糞に殺しました。……お終い」
 魏延の、まともに話させれば話しの最中に怒りの心頭に火が点いて、腹立ち紛れに人間の一人や二人は軽く殺していたかも知れない昔話を、最後まで丁寧に聞くだけの決意や責任が自分には無かった。けれども最初から解った振りを決め込んで、辛かっただろうとか言ってみせる度胸もなかった。ただ乱れた世の中の強過ぎる風になぶられてでも咲いた物の事を、せめてこの花弁が散らない様にと願ってやるしかなかった。
 温かく重い魏延の体がずっと覆い被さっていて、動く気配がなかった。拍動が胸の奥から控えめに伝わってきた。柔らかい。今は彼女はあの胸を隠していない。
「別にあんたの好きにしても構わんよ、あんたの秘密にしておきたい事に首突っ込んだお詫びだ」
 あれだけ怒鳴り、怒り狂っていた魏延の事だから口付けて話を終らせるなんて事は望んでなかっただろう。詫びの代わりに男娼の真似をして彼女の気を紛らわしてやっても良い、と馬岱は覚悟した。
「何を――」
「私を」
 魏延の頭がこちらを向いた気配がしたので、目線だけを彼女に向けた。
「殴るも良し、いたぶるも良し、たださっきの話を続けるのだけは止そう。あんたの毒だ。後、やっぱり上奏文はあの文のまま出そう。その方が良い」
「……伯瞻」
 今までずっと、なあ、とかそんな呼ばれ方しかしなかったのに、改まったように魏延が言った。
「何でしょう」
「友達って、まぐわい合う物じゃないと思う。それに俺は男の抱き方を知らん」
 冗談だろうと思って笑ったら、本当だよ、と返された。
「俺は、前にあんたに裸を見せた時、あんたが言ってくれた事と同じ事を言ってるだけだ。それと、ずっと昔に腹を捌いて金品奪ってやった事しか、男にしてやる事を知らん」
 また血生臭い話に戻ったが、魏延の声は落ち着いていた。
「なあ、伯瞻」
「何でしょう、文長殿」
「俺はもう独りにはなりたくないから、あんたとずっとただの友達でいたい。約束してくれるかな」
 迷った。友達以外の事もしたいと思った。けれどもそれをしないと、互いに言い合ったばかりだから言い難かった。
「……良いですよ、文長殿」
 けれどもせめて、もう少しだけでも自分を覆うこの重みと温かさを手放したくなくて、馬岱は魏延の背中に腕を回した。殴り合いの喧嘩、そして体の深い所をさらけ出し合って互いを結びつけ合うのと同じ様な事を、互いの精神でやり合う手段はない物か――何を考えているのだ、私は。けれどもそれを出来るのなら、背中に腕を回すなんて解け易いやり方よりも、今すぐにでも魏延と絡まり合って一つの結び目になってしまいたい。そう思いながら、自分の中の魏延の別の姿を思い描いた。
 それは細い茎の先に赤や橙の薄い花びらをつけて草原の真ん中で真っ直ぐに咲くひなげしだと馬岱は思っている。他の草木の種よりも小さな芥子粒の様な人間が、自分なりに葉を広げて成長し、目一杯に伸ばした茎の先に花を点けた。艶やかな牡丹でも、大地に根付いて丈夫な枝を方々に伸ばす椿でもなく、西の向こうで見た、緑だらけの草原の中で一つの赤い点を穿つひなげしが、何よりもこの人には似合うと思った。ちょうど、命を燃やす灯火の様な花だ。


 あれから随分な時間が過ぎた。
 あの時の上奏文を作ろうという、文字と墨の海に呑まれた二人だけの宴は夢の様だったけれど、その後の事は生々しかった。
 貧民層からの教育は、結局叶わなかった。残念だと言いながらも魏延は、字が読めて多少出来の良い奴を指揮官や小隊長程度に育てるような事をしよう、と食い下がった。惚れた玄徳様の夢見た天下の基礎の為に、と。
 あの宴から相当な時間が過ぎた。
 関羽と張飛が死んだ。
 劉備が死んだ。
 黄忠が、馬超が、趙雲が死んだ。
 そして今度は諸葛亮が死にかけている。


 あの時魏延は独りになりたくないから友達になってと言った。友達だから、勢いとは言え自分の一番嫌な所をさらけ出して話したのだと思うし、その後もずっと、何の理由もなく呑んだり遠乗りをしたり、互いに下手糞ながら碁を打ったり、困り事があれば相談し、時折殴り合いの喧嘩だってした。馬超が死んだ時におずおずと、「俺が居るよ、なんて甘えだよね? 俺は孟起殿の代わりになれないし」と困り果てた様に言った時は、思わず、そんな事はないと口走った。馬家の社稷を細々と引き継いでいく自分と魏延は別問題だからだ。
 でも、と思う事がある。
 魏延があの時に言った言葉はもしかしたら、ひょっとしたら、彼女なりの励まし以上の意味があったのかも知れない。今となっては出来ようもないが、それに乗って、殺されても良いから言ってみたかった言葉がある。あれを言えていたら今の自分と彼女の関係はどう違っていただろうかと、ちょっとだけ悔やむのだ。
――代わりなんかじゃない。それ所かあんたの全てが好きだからあんたをくれないか。
 多分、ぶん殴られるどころの騒ぎでは済まなかっただろう。身内が死んだ後に言う言葉じゃないと勝手に魏延が怒ったかも知れないし、彼女が一番嫌がる事を強要する言葉でもあるから手脚の二三本、肋も同じ位はへし折られたかも知れない。でも、言ってみたかった。あの時にはまだ時間があったのが何となく解ったからだ。
 これから数日して、彼女は何と言うだろう。
「絶交だ、この野郎! ……かな」
 威勢の良い、燃えるように赤く、すっくと背筋を伸ばして咲いた彼女の事だから、これ位言ってくれるだろう。こう言って捨ててくれた方が自分の胸が救われるからという願望なのは解っている。それが現実になる事を願ってやまない自分もおかしな物だと思うと、馬岱の笑みは不自然に歪んだ。
 歪んだ笑みを膝の中に抱きかかえて、馬岱は自分の思い切りの悪さと運命と世界中を呪って泣いた。



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