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その赤の名は 馬超編「西より射す光」

注意書き

SR魏延が結構粗暴な性格の女の子な小説の連作集です。
今回は「降ってきたばかりの馬超が馬岱を介して魏延と接触を持ちたがっていたとしたら」というifの基、書いてみました。
初出は2011/10/30発行の冊子版「その赤の名は」です。


以上の事を踏まえて、ご了承いただける方のみ「つづきはこちら」からどうぞ。
フォントサイズが大きくなります。

 長沙で幾年振りかに劉備と再会した時の彼の最初の一声は、今度こそ名乗ってくれ、だった。今度は名乗れた。黄忠をはじめとする長沙の投降者達は文官武官を問わず、劉備と魏延が知り合いである事に心底驚いたようだった。そうして集まって、劉備が新野での魏延との出会いや、知らない内にこういう所がどんな風に成長したと語って盛り上がっている所に、静かに、低い声が冷水の様に浴びせられた。
「玄徳様」
 全員がそいつを見た。人だかりから離れた所で血気の良くない顔をしかめている、黒く丈の長い衣を纏い、艶やかな黒い長髪に銀色の細い錦を絡めて飾り、手に白い羽扇を持って立っている背の高い男が居た。影みたいだと思った。
「玄徳様。こんな、主君をあっさりと斬ってしまうような人間は我が軍には必要ございません。遠からずこの者は数々の火種の原因となりましょう。今、ここで、殺して下さい」
 そう言って大股に歩み寄って来た。芝居の様に大げさに羽扇を振り回し、銀色の錦が歩調に合わせて楽しげに揺れた。ずいと、劉備に顔を寄せて――自然と魏延とも顔が近付く。
「今、ここで、さあ、すぐに」
 じりじりと真夏の瓦の様に焦げそうなのに、氷の様に冷たい睨みをくれた。
 日焼けを全くしていない男。まるで白粉を塗り込んだ様にきめ細かな肌。瞳は凪いだ湖の様に静かな青だった。夜の静けさが産んだような人間だ。
 何こいつ。

 

 歓談している所に割って入り、今すぐ殺せと主君に進言したウドの大木兼劉備の軍師の諸葛亮へ何とかして一矢報いたい気持ちで、魏延は、考えあぐねた末に現在は成都攻めにかかりきりで直接対決をしていないものの、いずれ事を構えそうな五斗米道の張魯配下の馬超を獲物に狙い定めた。
 独りで思いついた事だったし、誰にも相談はしなかった。長年世話してくれている黄忠にも話さなかった。老将とは言え黄忠の方が技も駆け引きも遙かに上だし、どこから湧いてくるのかやたらと元気だ。しかも弓が巧いと来ているから、尚更勝ち目が見当たらない。相談でもしようものなら先に馬超の首級をあげられてしまう危険性の方が高かった。
 危険すぎる賭だが、自分が使える人間である事と先を読む頭ぐらいあるという事の証明が出来る。もしも成功したら、ウドはぐうの音も出ないだろう。
 そうして夜明け前の闇に紛れて単身敵陣に侵入したは良い物の、どうすれば馬超とすれ違いでも出来るのか、どうしたら逆に見付からずに済むかと考えて、結局、藪から藪へとこそこそと移動する羽目になった。
 愛馬と一緒に潜んで随分な時間が経った。太陽はもう既に西に傾きつつある。干し飯を少しずつ食べてお腹が空いたとかもう帰りたいとか、そういった雑念を押し殺しているが、愛馬は愛馬でその辺に生えている草を食んでいる。お前は飯がその辺にあって良いなと思いながら馬の背をぽんぽん叩くと、返事をするようにぶるぶると首を振ってきた。
 流れる汗と、たかる虫と、敵陣の真っ只中に居るという緊張感と、空腹が呼んだ腹痛と、やはり無理なのではないか、いや今更帰っても黄忠が大爆笑して自分の愚行を陣中に言いふらして回るに決まってるという思考ががくがくと頭を揺さぶっている最中に、身を隠した藪の傍の高台で何かが光った。見ると、白く輝く鎧を着た男に率いられた数騎がやってきた。
 銀に輝く兜の裾から、獅子のたてがみのような金色の長い髪が弱い風をはらんでふわりとたなびいた。
 全身が冷えた。汗も虫も腹も、あらゆる感覚が冷えに圧倒された。とうとう、待ち望んでいたものがやって来た。
 魏延は愛馬をせき立てて、空腹と後悔に挫かれかけていた闘争心をかき熾し、銀色の鎧に身を包んだ男を目がけて一直線に駆け上がった。
 銀の鎧、金のたてがみ――伝え聞いた特徴と同じだった。
「馬超!」
 魏延は叫んだ。馬の速さに乗せて大刀を振りかぶり、男に迫った。手下達は奇襲に対応しようと得物を突き出して主を守ろうとしたが、どれもこれも跳ね返してやった。お前達なんかに用はない。狙い定めた首級に大刀を振り下ろそうとした瞬間、相手は振り返りざまに、大振りの槍で魏延の一撃を受け止めて跳ね返した。魏延は反動でよろけながらも馬を捌き、馬超から少し離れたところで踏みとどまった。自分と相手の距離は、一気に詰め寄るのが少し難しそうな程であった。配下の騎馬が遠くから弓を番えようとするのを、馬超が制した。
「俺は魏延。字は文長! 貴様の首級、貰い受けるぞ!」
 離れていても馬超の表情は伺い知れた。やや細面で色が白く、それとは対照的に血のように赤い瞳が、静かに自分を見据えていた。首級を獲ってやると言ってみせたのに、その表情は揺るがなかった。さすが叛乱軍の大将だ、肝が据わってると感心せざるを得なかった。
 しばらく馬超は何も言わず、魏延の顔をじっと見ていた。まだ一隊長でしかない自分の装備や名前を値踏みしているのだろうと思わせる顔だった。
「……あんたは単騎ここまで来たのか」
 魏延がいらいらしてきたのを見計らったかのように、馬超が口を開いた。
「そうだ。文句あるか」
「いや、よくぞここまで来たものだと、感心していただけだ。しかし残念ながら、私は馬超本人ではない」
「はぁ?」
「あんたとは無駄な争いをしたくない」
「嘘つけ! そんな派手な鎧着てるの馬超位なもんだ」
「馬超の首級なら、諦めた方が良い」
 魏延はのらりくらりとした馬超の言葉に、馬鹿にされている気がした。諦めなければいけない理由もあるらしいが、聞く耳を持てなかった。腹の底から叫び、再び大刀を振って真っ直ぐに馬超に突進した。
「今は無駄な損失を出したくない。あんただってそうだろう」
 そう言って、槍で大刀を跳ね返しながら薙いできた。槍の切っ先が、剣を構えてがら空きになった右脇の下から胸に掛けてを通り過ぎ、革鎧が裂けた。槍の間合いの範囲内の筈なのに、充分殺せる範囲内の筈なのに、自分の鎧だけを裂いた。
 手加減されていると思った途端に、馬超の首級の事なんてどうでも良くなってしまった。
「馬鹿にするな!」
 体勢を直して叫ぶ頃には、馬超はこちらに背を向けて駆け去ろうとしていた。取り合う気が更々無いのが、その後ろ姿だけだけでも解った。手下共も自分に注意を向けてはいても、殺気立っている気配もない。
 魏延は意味のない叫びを吼えて駆けだした。相手は飛び道具を持ってなさそうだったから、間合いを詰めて勢いに乗れば斬れるはずだ。
 馬超が肩越しに振り向いた。あきらめが悪いと、嗤っているようだった。
 そしてもう一度振り向きながら、短刀を投げつけて来た。危うくそれをかわして馬超を睨む。相手は自分に向けて矢を番えていた。馬超が叫ぶ。
「あんたを馬鹿になんてしてないぞ!」
 あ。避けられない。そう思うと同時に、右肘に痛みが走った。太い矢が刺さっていた。思わず大刀を取り落としてしまい、そのせいで馬が酷く暴れた。手綱を捌けず、馬の背から滑るように落馬した。背中を強かに打って、痛みに耐えながら開いた細い視界には白くけぶった空が広がっていた。
 ああ、ここで死ぬのだ、情けないなと思っていたら、視界に馬超が顔を覗かせた。魏延の馬を落ち着かせ、落としてしまった大刀まで拾っていた。
「……とどめを刺さないとか、随分物好きな大将だな」
「無駄な損失は出したくない。私はそう言った筈だ」
 そう言いながら馬超はしゃがみ込み、魏延の肘の手当を始めた。包帯代わりに当てられた布は鎧の飾りの一部らしく、織りで細かい模様が表現されていた。それはすぐに矢傷からの血に染まっていった。勿体ないことをする、と言いかけて止めた。自分が一層みすぼらしくなるだけだと思ったからだ。
 改めて間近で男を観察した。
 色々な噂を聞いたが、実際にこうして会った馬超は背が低く、体格もあまり良くないように思えた。自分がそこらの男よりも背が高いことを差し引いても、呂布の再来だとか錦だとか讃えられるような男には見えなかった。噂は単に、味方以外を震え上がらせる為の物だったのか、それとも尾鰭背鰭では飽きたらず、どこかの誰かが手足と翼を足したのか。
 それに、この男はあまりにも静かすぎた。数合打ち合ったというのにその高揚感もなく、夜の空気のように静まりかえっていた。ウドの事を思い出したが、あれとは少し異なる静かさだ。
「……あんた、馬超じゃないな!」
「何を今更。私は最初からそう言ってるじゃないか」
 馬超の言葉はどこまでも静かだった。一度起ち上がり、自分の馬に戻ると何かの包みを取って戻ってきた。
「私の食糧だが、今日は使わんからあげるよ」
「待て偽馬超! てめぇ本当は何者だ!」
 魏延は這いつくばって、馬超のマントの裾を掴んで引き留めた。魏延が咄嗟に叫んだ呼びかけの何がおかしかったのか、彼は笑い出した。馬鹿にされていないと何となく解るが、不愉快だった。
「偽馬超ね。確かにそうだ。私は偽馬超だよ。でもここで引き留めなくても、いずれまた、会う事になるだろうから、その時に改めて名乗る事にするよ」
 引っ掴まれたマントを振り払い、それではまた、と言い残して偽馬超は起ち上がると、待機していた騎馬達に指示を出し、自分も馬に跨って駆け去ってしまった。
 慌てて身を起こし、遠くへ駆け去っていく騎馬達の土煙を睨んでみても何も起こらない。馬群は誰一人として振り向いてくれなかった。
 いずれまた。
 それではまた。
 そう言った。再会を予期しているらしい偽馬超の言葉が引っかかった。
 大刀を拾うと馬に跨った。悔しかった。屈辱的だった。
 そうして馬でとぼとぼ歩き、しょぼくれた気持ちで一杯になって、夕時の闇と騒がしさに紛れ込んで陣営に帰ると、そこはどこもかしこも「馬超が劉備の軍門に降ってくる」と言う噂で一杯だった。
 偽馬超の言葉がやっと解った。魏延が単身敵陣まで乗り込んでみせたところで、何の意味もない行動だったのだ。
 先を読めた行動だったんじゃないかという自分への慰めを思いついてみても、偽馬超に撃たれた肘の傷と、彼の余裕綽々とした顔が頭を離れなかった。気が付いたら黄忠がにやけながら遊びに来ていて、矢傷を看てどこでやんちゃをしたんだか、と笑った。
「噂が本当なら、成都もあっという間に陥ちてくれるだろうから、まあのんびり構えようじゃないか、の? とは言え、その傷じゃ当面のお主の分の活躍は儂が貰い受ける事にしてやるわい」
 でもちゃんと分けてやるから安心しろと言って笑ってからかう黄忠に、うるせえクソジジイと罵ってやる気も起きなかった。自分の血で真っ赤に染まった偽馬超の錦はとりあえず肘の調子が良くなってから洗っておいた。それでも、元々は真っ白だった錦には血の色が残り続けた。何度洗っても残っていた。


 その男は赤い瞳に、遙か西方に住むと聞く胡人のような金に輝く長い髪をなびかせ、日照りの太陽の様な表情をしていた。放浪の果てに泥色に汚れた軍を率いてもそれが曇る事はなく、むしろ率いられた軍の精強さを誇示している様だった。
 膠着状態に陥っていた成都攻めも、雷鳴の様に地の続く限り轟き伝わる男の名前の猛々しさが一押しとなって落ちた様なものだと、皆が讃えた。
 ぎらつく男の名は馬超と言った。


 とうとう、夢にまで見た自分の本拠地を得られたという劉備の喜びと、その為に長期に戦い抜いた将兵達を労う為に宴を開こうという提案に、誰もが一も二もなく賛成した。その宴も、今日で二日目である。
 初日に馬超は、まず劉備に、放浪の身にあった自分達を迷う事無く受け入れ、早速成都攻略という大仕事を与えてくれた事を頭を低く下げて感謝した。かしこまるなよ、宴の席だという劉備の声は有難かったが、劉備軍門に降ってきたばかりの自分には、これからももっとやらなければならない事があった。
 関羽、張飛等の古参の武官だけでなく、諸葛亮と簡雍達文官にも、これからお世話になりますと、一人ずつ探し出して丁寧に挨拶した。特に、諸葛亮が西方の羌族達を平定するには貴方が一番適任だと言った言葉は有難かった。自分は虚仮威しの飾りの人間ではなく、武功を上げて周囲に示してみせる事がまだまだ出来ると、心が震えた。
 そうしてあちこちで挨拶をして、酒の注ぎ合いで酔いが回りすぎて独りで帰るに帰れず、ばったりと倒れたところまでは覚えている。
 今日は今日で、二日酔いがないのを不思議に思いながらも昼前に宴の席に顔を出した。そうしたらすぐに、昨日の倒れ方は面白かったと軽口を叩かれ、飾りまみれの刃を潰した剣をいきなり投げ渡されて、何か演じて見せろと無茶を言われたりと、やはり解放される隙がなかった。
 珍しいおもちゃを奪い合う子供のように、あちこちから声を掛けられるのがようやく一段落ついて解放された馬超は、酒の代わりに白湯を飲んだ。疲れた。泥濘と嵐に身を冷やされる戦よりも人間にもみくちゃにされるだけでこんなにも疲れるものかと、不思議な気分だった。それとも、この疲れの原因は単に、昨日の酔いがどこかに残っているだけかも知れない。
 大方の人々に挨拶を済ませ、こうして皆で席の上下もなくなる程飲んで喰って騒いで馬鹿話をしているのを眺めているのも、生き抜いた証なんだなと、馬超は思った。長い放浪の最中に拾ってしまった病魔は別として、と思いながら大部屋に差し込む西日を眺めた。
 西の方から来る光に、郷愁も何も湧かなかった。ただ、挨拶をしてふざけ合っているだけで、自分と病魔で奪い合い、喰いつぶし合っている時間を相当使ってしまったようだという事に少しばかり呆然とした。
「酔いさましですか」
 そう言って、涼やかな表情の男が隣に腰を下ろした。涼やかで剛直だが血生臭いと言う落差のある印象の男で、確か趙雲と言う名の筈だ。
「そうです、趙将軍」
「そう、畏まらないで頂きたい。貴方が居なければ、こうして皆が笑顔になれたのはもっと先の話になっていただろう。感謝いたします」
 趙雲が言い、馬超は徐々に酔いが引き始めた頭で適当に対応した。
 何か一つ忘れている気がした。誰かに挨拶をしていない。名は分かるが、宴にも一度も出てきた様子がないから死んでしまったのだろうかと、不安に感じた。
「趙将軍、一つお伺いしたいことがあるんだが……」
「何なりと申しつけ下さい」
「赤い頭の――飾りでも何でもない、地毛が真っ赤な、魏延という名の将はもう居ないのか。宴の席に一切出て来ない様なんだが……」
「ああ、あの子は酒に弱すぎるから、宴自体好きではないらしいんですよ。殿の話に因れば、ですが」
「あの子などと、言って良い物なのか?」
「新野の頃から一応知っている我々としては、魏将軍とか呼ぶよりも何だかしっくりしてしまっておりまして……内緒ですよ、魏将軍には」
「なぜ、弱すぎるだけの理由でこんなに良い宴に出て来ないんだ。物も食えるし酒は旨いし、酒にしても、飲めない奴は飲まなくて良いというご通達があるのに。訳が分からんな」
「翼徳殿が恐ろしいのでしょう。あの方は酒に関しては自分を基準に考え過ぎています」
 もっとも誰かの事を言えた義理ではないがな、と馬超は自分の従兄弟の事を思った。
 そう言えば、と趙雲も話しかけてきた。
「昨晩貴方が倒れた後すぐに駆けつけた灰色の髪の将は、何というのですか」
「ああ、あいつ? 俺の従兄弟だ。つまらん奴だっただろう?」
「面白いかどうか考えるより早く貴方を抱え上げて、一通り挨拶して風のように帰っていっただけですから、何とも……。あの方は、間者の頭領ですか?」
「あいつ、挨拶一つまともに出来んのか!」
「まあこちらにも、酒宴を楽しまない子が居ましてね」
 趙雲の言葉遣いを聞いていると、どことなく出来の悪い子供について謝っている親のような、そんな気がした。お互い様ですよ、と言って笑う趙雲に、ただ馬超は従兄弟の行き過ぎた無愛想さと無礼さを詫びるしかなかった。
「お互い、見せっこしてない若造が居るって事になるな。俺は見せても良いが、そちらさんはどうだ」
「……ちょっと、難しい子ですからね。でも、互いの為です。何とかして若者同士引き合わせてみましょうか」
 うむ、と言った物の、馬超は酔いさましが終わってからで良いか、と尋ねた。趙雲は快諾してくれた。その間、趙雲は暇つぶしの昔話を続けてくれた。
 新野に居た頃から劉備と魏延は知り合っていると聞いたが、それはどういう意味だったのか、なぜ新野に留まらずにどこかに行ってしまったのか、そういう事を馬超に語ってくれた。そして魏延は、長沙で劉備と再会した際に、脇に居た諸葛亮に殺されかけたらしい。魏延はそれを根に持っているだろう、と趙雲に訊くと、意外にも、気にしている様子はないという答えが来た。もしも言われたのが昔の魏延だったら、諸葛亮は今頃肋か腕の幾つかが折られていただろうと、趙雲は笑いながら言った。
「……宴会や酒が嫌いと言うより、本当は諸葛殿が居るからこの場に来たくないと言うだけではないか?」
「いえ、あの子はお酒を飲めないのが一番の理由だそうです。なぜかは教えて貰えなかったんですが」
「まあそれじゃあ、追及しないでおくに越した事はないな……」
 趙雲と雑談をかわしながら、馬超の胸には一つの不安が浮かび上がってきた。
 放浪軍を陰から支えて指揮した口数の少ない従兄弟を、赤毛の若い、従兄弟の言葉を借りれば「猛々しい」将は何と思うだろう。
 戦場に立てば兵卒を鼓舞する為に叫び、軽口も叩き、華麗に馬を捌く色男になれる従兄弟なのだが、どうにも馬から下りると「陰気な奴」としか言いようがなくなってしまうのが、玉に瑕だと思っている。否、瑕どころか、両手に包み持っていた玉が、手放した途端に真っ二つに割れてしまうような物だ。その無惨に砕けた玉を見せなければならないかも知れないと思うと、今すぐ馬岱を捜し出して、俺が良いと言うまで馬に乗って遊んでいろとでも言いたくなってしまう。
「どうしました?」
 どうしたものか。
「うん、気分が大分良くなったから、そろそろうちのを探しに行こうと思ってな。だが、互いに宴嫌いらしいから、ここでは会わせられないだろうし……」
「では、この建物の北の方に庭がありますが、野外でも良ければ、そこでどうでしょう」
「そうしようか。何か、目印になる物は?」
「小さな建屋が一つあります。丘の上に建っていて、大きな茂みや岩も無いので、日が落ちても簡単に見付けられるでしょう。あの子を見付けるのはちょっと骨が折れますので、お先に失礼させて頂きます」
 趙雲はそう言い、会釈してすぐに去ってしまった。
 趙雲が捜す魏延と異なり、従兄弟の居場所は大体見当が付く。それに、ここで意地でも馬岱を引っ張り出して魏延とか言う奴と会って挨拶をしておかなければならない理由があった。
 馬超は古参兵達と違って、成都攻めにも最後の方にほんのちょっとだけ力添えをしただけだし、昨日、酔いの回った頭で聞いたところによれば、関羽が諸葛亮に「馬超は俺よりも強いのか」と言う旨の書状を書いたとか書いてないとかいうらしい。諸葛亮は関羽に「貴方が一番強いに決まってる」とか返事をしたらしいが、その諸葛亮にしても、自分を蜀の西方を守る為の強力な手駒だと考えているだけだろう。
 昔からの交流や縁故のある人間がここには居ないから、新しく作るしかないのだ。その足掛かりとして、取り敢えず、若くて強いと噂の魏延に狙いを定めた。
 少し咳き込む。それが、喉が嗄れたとか風邪をひきかけたとか言うのが原因の物ではないと、自分には判る。臓物と肺腑の間に微かな痛みを感じて、馬超はそこをさすった。そこに住み着いた病魔と自分の根比べになるが、まず自分が元気な内に出来るだけ手柄を立てて目立っておく。そして屈する時が来てしまったら――社稷を馬岱に継がせた後の事も考えると、やはり若い将が良い。
 戦地で武功を挙げるのにあまり向かない馬岱の後ろ盾役という意味でも、寂しさを紛らわせる話し相手の役の為にも。
 仮にもし、魏延が死んでしまったらどうしようかと考えながら立ち上がった。無責任だが、馬岱に頑張ってくれとしか言えない。腹と胸の間の痛みは消えていた。
 宴会場をすり抜け、流れ者だった自分達に割り当てられた館の一部屋に千鳥足で戻ると、当然の様に馬岱が居た。置物のようだなこいつ、と思った。
「なぁ、こんな何もない所で何をしてたんだ?」
「生き残った将兵の為の家を探そうとしているところです。ここに押し込まれるよりは良くなりましょうし、疲れもとれやすくなります」
 馬岱はそう言って書きかけの竹簡を馬超に示した。何かが書いてある。人数だとか、劉備の大徳振りを讃える美辞麗句だとかが読み取れた。そうだな、家は良い物だ、と馬超は言った。そうだ、大事な目的があるんだ。あのな――、
「魏延という方についてですか。承知しました。会いに行きましょうか」
 いつの間に趙雲との雑談を聞いていたと、問い詰めたくなる言葉が出てきた。それが表情に出てしまったらしく、馬岱がにやっと笑った。
「張魯幕下の時から相談していた内容ですよ。やっと会えるのですね」
「そうだ。そいつを捕まえてくれると、趙将軍が言っていたから、二人で会いに行って、挨拶しよう」
 

 宴会場の歓声と笑い声を尻目に、二人は待ち合わせ場所の庭を目指した。何を話すべきか、どういう取っ掛かりがあるのか、そんな事を話しながら歩き続けた。馬岱の思惑がどうなのかは解らないが、何となく、魏延に会う事に尻込みしているようであると感じた。
 庭に着いた時、そこにはまだ誰も居なかった。夕焼けで世界が赤く霞んでいた。世界中に赤い薄絹をまんべんなく垂らしたような景色だった。庭中を歩き回っている内に、趙雲が言っていたらしい建屋に辿り着いた。小高く盛り上がった丘の上にあり、やたらと威張った様な屋根の形なのに、屋根の下は何の飾りも無かった。薄暗くて四隅の石の支柱に何かが彫り込まれている様だという事しか解らなかった。
 宴会場では感じなかった物悲しさを、なぜか今、馬超は感じていた。宴会場では独りで酔っぱらい共を照らす金色の光を眺めていたが、埃も舞わない野外で直に、炎の様々な箇所の色に光りながら地平に隠れていく太陽を見ると、その向こうの土地の事が胸の中にせり上がってきた。
 あの、霞んでおぼろげになった地平の向こうにはもう何もない。あそこからここまで持って来られたのは、馬岱と相当に目減りした西涼育ちの人馬の一軍だけだ。これから永く蜀で生き残っていけるのが楽になるかは、これから会う魏延とか言う奴にかかっている。
 同じ景色を見ながら、明日は晴れるみたいですねと情緒のない事を馬岱が言った。
「なあ伯瞻、胡弓があっただろう。趙将軍が、魏将軍を捜すのには時間がかかると言っていたから、ここで時間潰しに弾いてくれないか」
「申し訳ございません。部屋に置いてきてしまいまして」
「いや、構わん。取りに行ってくれ。何かと話のネタにもなるだろうし」
 それを聞くとすぐに馬岱は駆け足で庭を去って行った。
 明日は晴れる。夕焼けが見られたから。だから晴れる。
 そんなのは、父や祖父から聞いていて、大体当たると知っている天気の動向を探る手段の一つだ。明日は晴れて、日向ぼっこが出来て洗濯物が良く乾いて、もしかしたら馬場も乾いているから余興に馬術を披露して欲しいといわれるかも知れない。
 自分に出来るのはまず、これだ。馬群を捌き、西方の羌達に顔と脅しが利くという事だ。
 佇まいを正す。槍を持っているつもりで空中に相手の馬と将を描いて、それに向かって打ち込んだ。相手がそれを受け流し、間合いを取った様に感じた。下がれ、と馬を捌く足の動きをして見えない人馬の踏み込みをかわし、持ち替えた槍を振るってその背を打とうとして、ぎりぎりの所をかわされた。猪突猛進するかと見えてこちらの出方を用心深く伺う側面もある人馬。こいつは少し面倒かも知れないと思った。
 ふいに、人馬の気配がふっと消えた。
「明日にでもお相手いたしましょうか。馬将軍」
 振り返ると、趙雲が小山の麓から上がってくる所だった。その後ろに、夕闇に沈まない程鮮やかな赤い頭をした奴が居た。
 もしかしたら、変な踊りを踊っていると思われたかも知れない。何となく恥ずかしい。
「暴れ足りませんか。諸葛殿に、馬将軍は西の仕事を早くやりたくてたまらない様だと伝えておきましょうか」
「いや、結構。ただ何となくやってみたくなっただけだ。俺が西に行くのはそんなに先の話でもないみたいだが、それまでに体が鈍っていたら嫌だしな」
 そうですね、と趙雲が賛同しながら、赤毛の奴を手招いた。じっとこちらを見る赤毛の目玉には、山吹と赤が、夕陽のように光っていた。
「馬将軍は目玉が赤いんだな」
 名乗りもせずに、赤毛が言った。
「うん、俺は生まれつきだ。ただ、貴公も赤く見えるぞ」
 赤毛が痛い所を突かれた、と言うように表情を歪めた。
「俺もこれ、生まれつきみたいで治らないんだよ。ジジイにいつも、敵に悟られやすいから気をつけろって言われてたんだけど、どうしようもなくて、色々試したけど治らないし、諦めた。元々は枇杷の実みたいな色の筈だ」
 魏延の言う「ジジイ」とは黄忠の事だ、と趙雲が言った。長沙から一緒に降ってきた将の一人で、もう既に六十歳を超えているらしいが、老人扱いは厳禁、という事だそうだ。当然、ジジイ呼ばわりも禁止だが、魏延と黄忠は互いに「ジジイ」「ハナ垂れ」と呼び合う仲だそうだ。
「で、貴公が魏将軍か」
 赤い頭が、鞠が弾むように大きく頷いた。趙雲や自分より、ほんの少し背が低いだけで他は普通の男と女を足して割ったような感じだ。肩幅がそこそこあり上腕も鍛えているようだが、乳房は押さえ込んでいるのか、目立たなかった。腰から大腿にかけてがかなり太い。あの脚から本気の蹴りを食らったら、と思うと少し恐ろしくすらあった。腕の間合いや打撃力より、充分に武器となるだろう。もしも殴り合いの喧嘩になったら、自分はともかく、馬岱では多分勝てないだろう。手足の長さや身長差においては魏延が上である。
「……貴公が女だと色々な方から聞いたが、本当か」
「何で疑うんだよ」
「いや、戦場に似つかわしい猛々しい方だ。我が方に単騎で攻め込んで来て、俺の首級を獲ろうとしたという話しは既に聞いて――」
 途端に、魏延がその話は止めてくれと言わんばかりに慌てだした。
「俺は貴公を誉めたいんだが」
「言わんでくれ! 頼むから、俺一人で行って帰って単なる空振りだったって思うと、すっごく恥ずかしかったんだから!」
 魏延の背後で趙雲が微笑ましげに笑っている。右の肘にぶっとい矢傷が出来てー、と趙雲がからかい、それを魏延が雄叫びを上げて中断させようとする。成都攻めは黄将軍に手柄を分けて貰ってー、最終的に二人で殴り合いの喧嘩しちゃってー、と趙雲は上手い具合に雄叫びの合間を縫って要点をかいつまんで話し続けた。
 魏延は、歳は自分より十は若いだろう。日焼けした肌と、衣の袖から時折覗く腕の骨肉の端正な様と古傷に何となく親しみを感じた。
 それでいて落ち着く様子がない。次々に、あれこれと興味が移ってしまって仕方ない性なのだと思えば説明も付くが、稚気が抜けきらないと言われればそれまでだ。良く動く。しかしその動きは気ままで激しい。両方の性質が強く出るから、付き合うのは大変だろうと思った。急がずに、将兵と限らず文官や劉備の旧知達等を調べて見て回れば良かったかも知れない。
「……趙将軍。今後、私が独りで魏将軍に面会したい時の参考の為にお伺いしたいのですが、趙将軍は、魏将軍を捜すのに難儀すると仰っておられましたが、将軍は大体どの辺りに居られるのでしょうか」
「ええ、役職や派遣先が決まるまでは、多分、居そうな場所の順に申し上げますと、……練兵場、馬場、馬小屋、書庫、と言う感じになるのですが、街に一歩踏み入れてしまえばどこに行ったかなんて解らなくなってしまいます」
「街はあまり行かないよ。でも何で、馬将軍が話しがあるの?」
 馬超は答えに窮した。趙雲が魏延を連れて来てくれて、後は放って置かれる物だと思っていたが、そうならなかった。趙雲の居る前で、面と向かって魏延に「俺には後ろ盾がないからそれになってくれ」とは言い難い。
「……いやな、俺としては先程の件について、実際に貴殿と一対一で会って話しがしてみたいと思っただけよ。でも、貴殿は話されたくない様だし……」
「俺だって、本物の錦馬超様が直に拝めるって言うから来たんだ。それと俺の肘に矢傷くれた偽馬超を拝みに来た筈なんだけど、そいつはどこに居んの?」
 偽馬超って何だ、と思ったが、思い当たるのに時間がかかった。多分馬岱の事だ。
「胡弓を取りに行った」
「何それ?」
「西方の楽器だ。弦を弾かずに弾く物だ」
「へえ、あんた、弾けるの?」
「いや、伯瞻しか弾けない」
 そんな短いやり取りを繰り返していく内に、日が地平の向こうに沈んだらしく、今度は辺りに濃紺の夜の気配が漂い始めた。
「もうこんなに暗いよ。早く来いよ、偽馬超」
「はい、ここに」
 不意に湧いた答えに建屋の面々が振り向いた。馬超達が上ってきた小山の中程に、包みを抱えた馬岱が居た。不気味だから気配を絶つなと再三注意するのだが、馬岱は面白がっているようだ。その癖して面白がる様子を一切見せないのが尚更不気味だ。
「遅くなりました。孟起殿」
 中腹から歩いてきて、三人の中に混じった。この中で馬岱が、他の誰よりも頭一つ分程背が低い。馬岱が魏延に会いたがっていなかったのはこういうのが理由だろうかと馬超は推測した。自分より背が高くて、手柄をあげられなかった原因の傷を作った自分の事を恨んでいそうな粗暴な女なんて、馬岱の立場になってみれば会いたくもないだろう。悪い事をした気がした。
 馬岱は胡弓の包みを抱えたまま一通りの自己紹介をした。目が合ったら殺されると思っているのか、ずっと視線は伏せたままだった。
 魏延が動いた。魏延が馬岱の肩を掴んで顎を上げさせた。失礼だぞ、と言う趙雲の忠告も聞かず、魏延は馬岱の顔をまじまじと見つめた。
「……覇気っていうか、気迫がないし、軍師殿みたい。でも、馬超を演じてるあんたは格好良かったよ。惚れ惚れした。なあ、馬将軍。こいつ、今とあの時で全然表情が違うけれど、何で?」
 相当失礼な事を言われた。馬岱の表情は揺るがないが、馬超は、やっぱり、と後悔した。しかし、正直に言って、馬超から馬岱の事を説明するのも難しい。
「解らん。実は、俺の従兄弟で、ずっと付いて来てくれる事以外、全く俺は細かい事は知らんのだ。薬草の知識と物資の調達と、胡弓が上手い事しか本当に知らない」
 嘘だ、と魏延の顔には書いてあった。そんな訳無いだろうと、趙雲も言いたそうにしていた。馬超は、いや、本当なんだ、と首を振って応えるしかできなかった。本当に、これ以上の事は知らない。
「……まあ、良いや。ところで、俺は酒と張さんが怖いから宴に出ないけど、あんたは何で出ないの?」
「私は馬超軍の一介の将に過ぎませんから、出られるわけがありません。それに、酔いつぶれた孟起殿を誰が介抱してやると言うんですか」
 孟起って俺の事ね、と言いながら馬超が自分を指した。
「あ、俺、文長」
「改めて、私、子龍です」
「……伯瞻と申します」
 流れるように互いに名乗り合い、互いに親しくしましょう、と言う感じに話が一段落してしまった。
 問題はここからだ。後は自分が「万が一何かあった時の為に俺と友達にでもなってくれ。そして君と親交を深めたい」と言えば良いのだ。けれどもそれを、劉備と長い付き合いの趙雲には聞かれたくない。弱さを見せたくないという意地もあったし、人の口に戸板は立てられないとも言う。今はただの雑談で済んでいるが、どういう経緯でここの話が流れ出すか解らない。
 最初に沈黙を破ったのは魏延だった。
「なあ、あのさ」
 魏延が馬岱の方に向き直った。
「俺、同じくらいの年頃の知り合いがあんまり居ないからさ、一緒に飯食ったり、軍師様に頼んで賊退治とかやらせて貰ったり、しようよ?」
「……魏将軍ともあろうお方がそんな事を仰るなんて。長沙の頃からのお知り合いが居られない訳でもないでしょう」
「いや、そのな、歳が近いってのがちょっと大事で。……俺位の歳の奴、荊州から引っ張って来られた士卒にはほとんど居ないんだ。ジジイだって、まあ、ジジイだから俺より先にくたばってしまうのは目に見えているし、独りってのは、本当の事を言うと厳しいんだ。士大夫共は四書五経のどこそこ即答してみろ、文書の一つぐらいさっさと書いてみろって感じでいけ好かん」
 脇で黙って聞いていた趙雲の表情が僅かに変わった。魏延が弱音を吐くのは珍しいという感じであった。
「だから、友達になってくれるかな?」
「私がですか」
「うん」
「孟起殿ではなくて、なぜ私なのですか」
「そりゃ、錦馬超様とも親しくしておきたいのは山々だけど、軍師様が先に最前線の大将に抜擢してしまいそうだったし、本物が俺とは全然取っ掛かりが無いからあんたが良いかなって思ったんだ。そっちもそっちで、もしかしたら新入りで不案内だから手伝って欲しい事もあるだろうって思ったし」
 馬岱に対して失礼な、偽物や粗悪品で我慢しておくかといった感じの物言いだ。馬岱は表情の変化を見せないが、趙雲の顔には呆れが漂っている。
「良いですよ」
 明日の約束を快諾するように馬岱が答えた。
「本当に?」
「なぜここで策を弄する必要があるでしょうか。本当ですよ」
 やったぁと、魏延が子供の様に叫んで全身で喜んだ。
「なあ、じゃあ、ちょっとツマミくすねて来るからさ、胡弓っての聴かせて、あんたの事も色々教えてよ。それにさ――」
「有難いお言葉ですが、折角の機会です。今回は本物とお話ししてはどうでしょう。それでは、偽馬超は撤収致します。錦馬超殿、こちらの方が貴方と親睦を深めたいご様子ですので、私はここらで」
「胡弓聴きたいんだけど」
「明日にしましょう。幾らでも披露して差し上げますよ」
「じゃあ、明日、あんたの所に行くから、絶対聞かせてくれよ」
「良いですよ」
 それだけ言うと、馬岱は魏延達に背を向けて歩き始めた。
「じゃあ、若い衆交換と言う事で」
 逃がすまいとするように、趙雲がそう言って馬岱を追いかけた。
 二人だけで建屋に残された。馬超は魏延が女だという事を確かめたいと思う一方で、こちらからも改めて話を――と言うより、お願いをしなければ、と思った。何か話す事があるんだろう、と魏延に促されるが、言おうと思っていた事は先に魏延が言ってしまった。
 やがて遠くで、馬岱の弾く胡弓の音が聞こえ始めた。趙雲が時折話し掛けるのか、途切れたり、途中から曲調が変わったりしている。趙先生羨ましいなと魏延が呟いた。
「魏将軍」
「改まった物言いはお互い無しにしよう。文長で良いよ」
「いえ。私は今、貴方に対して頭を下げてお願いせねばならない立場だ」
「何で?」
「……実は私は貴方と何らかの繋がりを持つと言う事、でお話がしたかったのです。新参者の我々にはまだ、どこかに流れるんじゃないかとか、すぐに裏切るかも知れないと懐疑的な見方をする人々も居るでしょうから、その時に我々を庇ってくれる者が欲しかったのです。我々はもう、どこにも行かないと決心致しております」
 どうして、と魏延が言った。誰と親しくしていたから助かったとか、逆に繋がりを疑われて謀反人に仕立てられたとか、そんな話は上げればキリがない。そういう事が解らないでもあるまいに、魏延は小さな子供の様に戸惑いに満ちた声で言った。
 馬超は洗いざらい、全部言ってしまおうと思った。胡弓の音が中途半端な所で途切れた。
 色々と目論まなくても、この赤毛はこちらに話し掛けてきて、手を組んでくれと言った。何一つ隠す事無く、自分の強さを見せびらかすのと同じように、自分の弱い面も見せてくれた。
「ですから、戦場で一戦交えた伯瞻をダシにして、貴方と何らかの繋がりを持ちたかったのです。我々は羌族鎮定等で使えますでしょう。しかし、武功を積んで、見せつけるだけで何もしなかったら、他人から信用なんて得られません。寄って来る人間は、武功の方しか見ておりません。我々は、錦を織る機織りの機の様に、武功を生み出すモノとしか見なされないでしょう。けれども今日、貴方は逆に、錦も機も無視した人間付き合いをして欲しいと言って来て下さいました」
 間を置いて新しく聞こえてきた曲は、一つ一つの音が細く縦横に伸び、宇宙のありとあらゆる隙間に入り込んで埋め尽くしてしまいそうな物だった。音と言うより、光を音で表現してみたような曲だった。魏延は曲を聴いているのか、答えを考えて迷っているのか解らなかったが、目を閉じてしばらく動いてくれなかった。
 曲が終わる。遠く、趙雲の声が聞こえた。
「……つまり、俺と仲良くしてくれって、そういう事だよね? 良いよ。俺に出来る事なら何だってするよ」
「見返りは……?」
「そんなの要らないよ。あんたとあいつと、今日は二人も友達が出来たし、あんたのお陰で、成都攻めも楽勝だった。これ以上、何をあんたに要求するんだよ。西に行くとかで、これからもっとずっと忙しくなるんだろ?」
 晴れるのだ。
 夕焼けが見られた次の日は、大体晴れるのだ。
 庭のあちこちで点り始めた灯籠の明かりが僅かに照らす魏延の顔を、馬超はまた、しつこく思われない程度に見つめ直した。自分よりは幼いが、自分の強さを隠そうともせずにしている一方で、弱い人間を放っておく訳にはいかないという義侠を秘めている。そういう眼をしている。
「この機会だけでただ話し合ったり庇い合ったりするだけの仲じゃ嫌だから、何かあったら何でも言ってよ。力になれる限りどうにかしてやるよ」
「……では、一つお願いがございます。魏将軍」
「そうかしこまらなくて良いって、孟起殿。一つと言わず、幾つでも聞くよ。で、何?」
 馬超は再度自分の胸と腹の中に居座った病魔の事を思った。五年以上引きずった乱の為に気力と体力が落ちたのか、今更養生しても完膚無きまでにこれを打ちのめす事は出来なさそうであった。そう直感した。
「もしも何か私にありましたら、伯瞻を、馬岱をお願い致します」
「良いよ。まだ良く解らない奴だけど、面白そうだとは思うし、錦馬超様からのお願いとあっては断るわけにはいかないね」
 目論見は、見立ては間違っていなかった。
 魏延は赤く輝く夕陽と夕焼けのように、晴れを期待させてくれる人間だ。



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