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何も言わないで・前編

注意書き

・SR魏延×UC馬岱(女体化)です
・五万字近くあります

・投稿字数制限の都合で三章立てになりました。こちらは前編です。

以上の事を踏まえて、ご了承いただける方のみ「つづきはこちら」からどうぞ。
フォントサイズが大きくなります。

 「今日」が終わった。柵を作り補強し、ちょっかいを出しに来た魏兵どもを間引き、兵士達にも余裕があったから、夜襲もついでにやってやった。間者が掴んだ情報通りの、糧秣を運んでいた部隊を奇襲した。兵卒達が持てる限りの袋を奪ったり、運びきれない輜重に火を放ったりと、好き勝手にやっていた。もちろん、これは自分が指示した事だった。
 そうして自分の陣に帰ったのは、下弦の月が姿を現し始めた頃だった。僅かな常夜灯が照らす陣に着くと、待ち侘びた様に小さな白い頭の奴が血と泥にまみれた愛馬と自分を迎え出て、お帰りなさいと言った。
「ただいま」
 そう言えた。安堵に顔を綻ばせた、子供のような身の丈の白髪頭に本陣宛に今夜の戦果を纏めて報告するように命じると、拱手してどこかへ走り去った。きっと、各部隊長からあれこれ聞いて回るのだろう。
 一日中山野を駆け回った上、陽も秋とは思えない程の強さで照りつけていた。何だか、自分の陣に着いてから、そして、ただいまと口にした瞬間から、耐えてきた疲れがどっと覆い被さってきて両肩と、腰から下にかけて炙られているような重みが強くのし掛かった。
 「今日」の事はあの白髪に任せよう。そう考えながら、重みを増した脚を引きながら、自分の幕舎の隅の寝台に体を運んだ。
 その、自分の行動を予期していたかのように、寝台の脇に水の張った桶と手拭いがあった。理由も解らず、笑みがこぼれてしまった。鎧を脱ぎ捨て、折角なので用意して貰った桶の水で体を拭いた。脱ぎ捨てた鎧は白髪が――馬岱が適当に片付けてくれるだろうと思うと、だんだん、彼女に全てを任せてしまおうという気分になってきた。体を一通り拭き、血と泥に汚れた桶の水を捨て、手拭いも簡単に洗っておいた。疲れがしみこんだ体には中々の重労働だった。それらを済ませて、毛布を被って寝台に寝転んだ。
 重くなっていく目蓋と全身を押しつぶす疲労感に身を任せていると、文長殿、と小さく呼ぶ声がした。馬岱だ、どうした、と思いながら目蓋をこじ開けると、傍に立つ白い頭がぼんやりと見えた。馬岱は自分が目覚めたのに気付いた途端に狼狽えて、最後に何でもありませんと呟いて黙り込んでしまった。
「どうしたんだ」
 そう言っても、彼女は黙って首を横に振るだけだった。馬岱の声の様子からして緊急性を感じられなかったし、書簡を携えている気配もなかったので、軍務に関する事ではないのだろうと思う。上司部下としてではなく、同じ幕舎で寝起きする間柄として相談したい事がある、という感じに読み取れた。
 身を起こそうとすると、本当に何でもないですと言って逃げ出そうとするので、彼女の手首を捕まえた。手甲を纏ってはいるが、細く柔らかく弱々しいと感じた。体格の優れた自分と、並の男よりも劣る女を単純に比較してはいけないのは解るが、はかなく頼りないと思ってしまった。馬岱は、捕まってしまうと無理に魏延を振り解こうとせずに、大人しく向き直った。
「寝入り端だったし、怒ってなんかいない」
 何か言いたいことがあったんだろう、言えば良いじゃないかと続けると、やっと馬岱が口を開いた。
「文長殿、寝たままで良いので、お返事も下さらなくて良いので、ただ聞いていて頂けませんか」
「それだけなら、今のままでも良くないか」
 こういう風に、面と向かって。
 馬岱は首を横に振った。彼女が何だか恥ずかしいからと、小さな声で言うのが聞こえて、それ以上追求しなかった。
 変な事を言う奴だと思いながら横になり直して、腕枕の形を整えた。
「……私は、初め、文長殿の事を信用しておりませんでした」
 最初の一言で思わず飛び起きて詰問したい気持ちがほんの少し浮き上がったが、重い疲労感が眠気の底へ意識を引きずり込んでいく。
「けれども、胡蘆谷での責任を問われ鞭打たれて動けない私に、文長殿が毎日精一杯お気遣い下さる様や、私の側近……丁が死んだ時、落ち込む私に頼れと言って下さった時、私は、間違っていた、私はもっと早くから貴方を信じて、互いに、ただの将兵としてだけではなく、心からのお付き合いをして、もっと親睦を深めておけば良かったと後悔しました」
 馬岱に気取られないように、毛布の中で親指の付け根のくぼみを押し込んだ。意識が一瞬だけ浮き上がって、また沈む。重石を付けられて激流の中に放り込まれているような感覚だ。馬岱が何と言うのか聞き届けたい一心で、流れを泳ごうと意識がもがいている。
「私は今、文長殿にとって大変不快な事を申していると思います。でも、貴方にこの事を出来るだけ早くに謝りたかったのですが、何だか女々しいような、貴方から見ると馬鹿馬鹿しいと一笑に付されてしまうような事だったので、こうさせて頂きました……」
 よく解らん奴だと、そう思う。男と女、強い奴と弱い奴、死体を作る奴と死体になりそうな奴とで、こんなに意識は違うものだろうかと、疑問を抱かざるを得ない。
「今の今まで申さずに、大変失礼いたしました。でも、貴方に笑われるのが怖かったのです」
 でもその疑問も、溺れた末に掴んだ藁屑程にも意味を持たなかった。聞いてるだけで良いんだから、考えなくても良いじゃないかと意識が怠ける。眠い。ただひたすら眠い。
 自分がやったのはただ、死ぬかも知れないという絶望と、それを分かち合える者が居なくなったという孤独の淵につっ立っていた人間の手を取って引き戻してやっただけの事だ。それをこんなに感謝されると変な気分だった。けれども、馬岱が語りかけてきたのを、つまらない事だとは思わなかったし、笑う事もなかった。自分にだって遠い昔は弱かったし悩む事位あった。昔過ぎて、上手く思い出せないだけだ。
「……貴様は遠慮し過ぎだ……」
 ただ、言いたい事があってもなかなか言ってくれない馬岱にもどかしさを感じる事はよくあった。だから、それだけ言った。何か自分が言った様だと感じる程度の意識しか、もう残っていなかった。
 それがあってから何度か馬岱は、横になった魏延に何かを語りかけていった。わざわざ寝息を確認してから話し出す事も、そうしない事もあった。話される内容は従兄弟の馬超の事や涼州に居た頃の話等の昔話が大半だった。
 もしかしたら目の覚めない状態でも、何か話していたかも知れない。時折、以前も話したとか言いながら全く知らない話をされた。
 たとえ眠っていようが何かの気配を感じると目を覚まし、身構えてしまう自分が、この白髪に対してだけ反応しないのはなぜだろうかと、そんな時に思った。昔からの付き合いの側近を亡くした馬岱が言う様に、自分を頼れと宣言した時から何かが変わったのだろう。彼女も、そして自分も。
 肝心の「何か」が何なのか皆目解らないのが腹立だしい限りだ。


① 猪竜の塒

 胡蘆谷での作戦失敗の責を追及された際に打たれた背中の傷も大分癒えて動けるようになり、魏延に指示を貰って騎馬の調練をしたり、雑務を処理したりするのが日常となりつつあった。
 魏延は馬岱の怪我を気遣ってか、そういう仕事しか回してくれない。影で、独りで剣や槍の稽古と馬との調練は一日の体力の続く限りやっているし、それが背中のかさぶたを引っ張って新しい裂傷を作る事もない。体力は戻りつつあるし、以前と同じ動きが出来ている自信もある。それでも、魏延は戦線に復帰するのを許してくれなかった。
 そう言う時、ぽつねんとした、どこかも解らない、何もない場所に独りで突っ立っているだけのような気持ちに襲われる事がある。魏延に疎外されていると、そう感じてしまうのだ。
 西と北の果ての向こうに冬が居て、そのひそやかな息吹を時折感じるような頃だった。山の木々は緑色でなくなり、枝にしがみついているのがやっとという様子だった。
 馬将軍、と呼びかける声が確かに聞こえた。
 陣内の兵卒の様子を見て回り、一段落した時だった。誰の声でもなかった。思わず周囲を見回すが、兵卒用の天幕と陣の端に設けられた柵と、数人の兵が集まって稽古をしている景色しか見えなかった。
――そのままお聞き下さい。馬将軍。
「私はもう――」
――兵卒に落とされて将軍ではない、そう仰いたいようですね。
 馬岱の足元に、小枝が投げかけられた。自然に飛んできたのではないと何となく解ったが、その方向を見ても誰も見当たらなかった。
――折って中をご覧下さい。丞相からの書簡です。
 声の主は諸葛亮の間者のようだった。こっそりと届けなければならない内容とは何だ。何かが起こる。遠く離れた地平の雲の様子が変わろうとする兆し、風向きが、空気の冷たさがぬるさが、陽光の加減が――
 大雨が来る気配に似た気配を、馬岱は背に湧いた冷や汗で感じた。
――一両日中に、正式な書簡が魏将軍宛に届きます。後はその書簡に従って下さいとの事です。
 それきり、声は途絶えた。
 馬岱は小枝を拾い、継ぎ目を探し当ててそっと折った。中には巻かれた布が入っていた。布だけを取って懐に隠すと、枝は捨てた。魏延と居住を共有している幕舎に帰り、誰からも見えていないのを確認してそれを広げた。
――まず魏将軍の信頼を得て下さい。狼が犬の様に振る舞う程の信頼を。
 手短な書面には諸葛亮の署名があった。
 信頼を得る。
 書けば数字で足りてしまう。しかし、それが確かなものになるまでには相当な時間が必要となるだろう。そして、信頼とは何だろう。どういう仲になったら信頼を得た事になるのだろう。多分それは格好良い言い方をすれば背中だとか命を預けるとかいう表現になるだろう。
 俺を頼るのは不満かと問う、あの男にしてはおかしい位に静かな声が蘇る。
 今、馬岱が魏延を信用し、頼っているのは確かだ。馬超が生きてた頃からの旧来の部下達が死に、蜀軍の中ではどこの軍閥や権力にも属する事が出来ずに孤立している自分の、たった一人の味方である。相談するのに相手を選ばなければいけない内容の事でも彼になら言える。相談できる人間が魏延しか居ないというのが実情だが、馬岱自身は魏延を信じている。否、どちらかと言えば頼っている。
 けれども、魏延から見た馬岱はどう見えるのだろう。魏延は馬岱に色々な雑務を肩代わりして貰って大分楽になったと言っていたが、そんなのは誰がしても同じような事だ。仕事の上で掛けられる言葉としては嬉しいが、個人としてはそうではない。あの時に「何となく嬉しいな」と感じた気分はただの煙の様な虚無だ。
 同じ部屋に寝起きして、ちょっと言葉を交わす程度の仲だと思っていてもおかしくない。
 馬岱は読み終えた布を手のひらの中に隠し、何食わぬ顔と足取りで幕舎を歩き出た。先程密書の入った枝を拾った場所を再度通り、陣の縁を歩き防柵の強度を確認したり、兵卒の幕舎を覗き、あやしげな行動をする人間がいないか見て回りながら、手の中で布を丸めて弄り回しながら、陣内で幾つか備え付けられている常夜灯の一つの脇を通った。
 夜になると必ず誰かが火を灯す常夜灯――と言っても、ただの大きめの焚き火である――の絡み合った枝の間に、密書を投げ込んだ。枝に引っかかりもせずに、布の玉は見えなくなった。
 袍の下の自分と魏延の体の違いを思った。魏延は自分を怪我人として扱っているが、女扱いはしていない様に思える。他の将達と分け隔て無く接し、時に下手で解りやすい下ねたを軽く言う程度だ。旧来の将達と上手く折り合いが付かなくなった際には仲裁してくれたが、それは上に立つ人間として当然の行動だろう。
 多分自分は、魏延には悪くは思われていないらしいと言うのが、馬岱の現在判る範囲での感想だった。
 つまり、結論として、「信頼」は得られていない。

 密書から二日して、諸葛亮から書簡が届いた。魏延宛だが、内容は馬岱に出頭するようにと命じられてあった。胡蘆谷で魏延を敵諸共火計に巻き込んでしまった馬岱の責を改めて問い、書面に残す為というのが名目であった。馬岱が策を上手く実行できなかった原因もあるだろうから、それを洗い出したいといった事まで書かれていた。
「おカタい丞相様だな」
 魏延は一通り読み上げ、鼻で笑って、書簡を馬岱に押しつけてきた。
「何が起こるんでしょうか……」
 馬岱がそう言って魏延を見上げると、俺が知るか、とでも言いたげに彼は頭を振った。
「大方、こんな令状通りの内容は大嘘で、貴様が俺に毎日虐め抜かれているに違いないとか思っているんじゃないか」
「そんな」
「そんなも何も、俺の評判が奴らの中で悪いのは知ってるだろう」
 文官どもが騒ぎ立てたんじゃないか、と彼は続けた。けれども、そうだとしても、先日の間者の件と言い、この書簡と言い、体裁の上では兵卒になった自分に何の用があるのだろう。今まで、様々な指令は全て魏延に宛てられていた。
 なのになぜ今更、自分だけに告げなければいけないような話があるのだろうかと考えて、先日の間者の事が思い起こされた。
 あれだ。あれがとうとうやって来たのだ。
「今更になってぶってごめんねとか、兵卒にしてやると書面に残しますなんて、ほじくり返すのも大概にして欲しいよな。けど、行ってこい。相手は丞相様だ」
「何か、文長殿に告げてはいけない内容なのでしょうか」
「虐めてるのかとか、そんな事本人に言ってもやってませんとしか言わないだろ、普通。嘘にしろ本当にしろ。虐められている本人呼び出して、懐かせて話を聞き出した方が早い」
「なぜ皆して、と、言いますか、貴方は、丞相殿達が皆して、貴方が私を虐めているなんて決めてかかるんでしょう」
 間があった。その間、魏延が口を曲げて馬岱を睨み、最後に大きな溜息を吐いた。
「俺がまだ貴様にしてない事をやってると、普通は考えるんだ。普通は」
 言われてみればそうだった。魏延が今まで自分に手を出さずにいたのがおかしい位だ。
「じゃあ、なぜ、なさらないのですか」
「貴様も貴様だな。面と向かって言う事かよ。俺は単に、貴様に俺を信じて欲しいだけ、それだけだ。貴様の身の安全は守るし、保証する代わりに、貴様から信用が欲しい。交換してやってるだけだ」
 魏延は眉間に深い皺を刻みながらそう言った。何で解ってくれないんだ、鈍くさい奴めと文句を言い続ける視線が馬岱を刺した。
「……何だ。納得いかないのかよ。じゃあもっと言ってやるよ。あんなに鞭打たれてぼろくそになった貴様を見てまたいたぶりたい気持ちが沸くかって言うんだよ。気持ちが良くないんだよ、俺が!」
 大股に歩み寄り、最後は馬岱の胸倉を両手で引っ掴み頭突く様に顔を寄せ、俺が、に尚更力を込めて怒鳴った。怒ったと言うより、命令だから呑めと言いたい口調であった。
「……文長殿、私にはもう、貴方しか後ろ盾も味方も居ません。だから、私は貴方に全てを委ねるしか出来ません」
 魏延に胸倉を捕まれ、宙吊りになったまま馬岱が答えた。
「つまり貴様は、俺を信用しているってか?」
「そうです。それ以外に、今の言い方に裏がありますでしょうか」
 言い方を変えれば、「魏延には好き勝手にされても構わない」という裏しかないが、彼がそれに気付いたかどうかは解らない。
 両足の裏が地に着いた。額がくっつく程に近付けられていた顔が遠離った。
「……俺を信じてくれる気持ちは嬉しいが、そこまで言わんでくれると有難いな。まるで俺が貴様の気持ちを利用して奴隷扱いしていたぶっているみたいだ」
 魏延が背を向けた。深緑に所々泥や血の跡が黒く付いた厚手のマントが翻り、戦装束の山鳥の飾り羽根が馬岱の額をかすった。大きな後ろ姿だった。魏延が腰に手を添えて天を仰いで溜息を吐き、次いでマントの中で後ろ手を組む気配が解って、それに片手で触れると、布越しに太い指先が握り返してきた。もう片方の手もそれに添える。
「じゃあ、文長殿は私を信じて下さってるのですか」
 じゃあって何だ、と魏延が苦笑した。
「無論だ。疑う理由がないじゃないか」

 馬岱が書簡の通りの日時に本陣に着くとすぐに、諸葛亮の起居する私室の幕舎に案内された。書簡通りだとしたら執務室、そうでなくても、何かの会合の為の会議の場にでも通されるものだと思っていた馬岱は、まずその事に面食らった。そこには馬岱の他に誰も居なかった。文官も武官も、それぞれの持ち場で仕事をしている様だった。
 自分の他に誰も呼ばれていない事を問うと、諸葛亮は、今日は少し体調が優れないだけですと言った。全くずれた答えだ。答えになっていない。
「それに、既に陣頭指揮を執る将達も、成都で事を運ぶ皆様にも、この事には納得して貰っていますので、ここでお話しすることにしましょう」
 諸葛亮の言った様子だと、何事かが既に決定されていて、それについて馬岱にだけ話したいという様だった。
 諸葛亮は、幕舎まで付いてきた護衛と世話係や記録係達にこの部屋から立ち去るように言いつけた。護衛の頭目が何か反駁しようと口を開き掛けたのを、羽扇の動きで制した。何かの符丁だったのか、護衛達はそれを見て隊伍を組んであらゆる者達を部屋から追い出してしまった。
 声が出なかった。諸葛亮と自分だけの密談が始まろうとしているのだ。先程思いついた「既に決定した何か」は、途轍もなく巨大な物のようだという事しか解らなかった。ただ部屋から消えていく人間達の背中を見送るしか出来なかった。
 幕舎の周辺からも、最低限の護衛以外が消え去ったらしく、先程までは聞こえなかった遠くの喧噪が控えめに聞こえてきて、また時折、矛や槍が触れあう音がした。
 その音しか聞こえなくなってから、ようやく諸葛亮は薄い唇を開いた。
「先日はご苦労様でした。お辛かったでしょう」
「もう傷は癒えました。問題なく動けます」
 馬岱はそう答えた。諸葛亮にはこんな返答も予想の範囲内だったろうが、彼は柔らかな笑みをこぼした。口元も目元も綻ばせた平和な笑い方だった。
「何もそんなに緊張することはございませんでしょう」
 緊張するなと言う方が無理がある。自分の目の前に居るのはこの国で軍事・政治の両面に於いて欠く事の出来ない人物であり、人によっては父であり母であるような、そんな印象を与える人間だ。
「そんなに固まらないで下さい。胡蘆谷の件の後も逃げる事無くここに止まったあなたはまさに、忠義の臣ですね、馬将軍。そして、……あんな事をして、望まない人間の配下になってしまったあなたに追い打ちをかけるような事を申しますが……」
「は、はは、はいぃ……」
 緊張が極度に達してついにどもってしまった。そんな馬岱の様子に呆れる様子もなく、相変わらず何事もないような笑みを浮かべつつ、諸葛亮は、寝台と椅子の中間の様な背もたれが斜めになった椅子を自ら引いてきて、溜息を吐きながら座った。疲労の色の滲んだ深い溜息だった。心なしか、椅子に座った瞬間から諸葛亮の表情に陰りが差した様に見えた。
「……こういう役職をやっていると、形式を四角四面にくそ真面目に重んじる人間に見られがちなんですが、どうも先帝陛下の影響か、そうではなくてですね、本当はこういう風に雑談する様にゆっくりお話しできるやり方の方が互いの為にも良いと思うのですよ」
 と言うわけで貴方も座りなさい、という諸葛亮の何だか良く解らない命令で、馬岱も折りたたみの椅子を広げて座った。
「……あの、先程丞相は私の事を兵卒なのに将軍と呼んで居られましたが、なぜでしょうか」
 兵卒となってしまったのに、自分のことを今更将軍と呼ぶのが気になった。
「そうです、馬将軍」
「私は今はただの兵卒です。将軍なんて――」
「確かに私は馬将軍の事を兵卒にすると宣言致しました。そして、私が指示できる将軍としての貴方はどこにも居ません。これはこちらも承知しております。納得できないのであれば、まあ、私の呼び方の癖の様なものだと思って下さい」
 諸葛亮を捉え所のない人間だと思った。彼は世界の全てを碁盤の上の変化のように、大局的に感じているのかも知れない。自分には目の前の事で手一杯だが、馬岱の目前の事なんてごく簡単な詰め碁も同然だと思っているかも知れない。
 ああ、どこから話したら良い物か……。と諸葛亮は羽扇の羽を指でなぞりながら思案した。
「長いお話になりますか?」
「結論だけを申す事も出来ますが、それでは大概の人は納得できませんから、ちゃんとした解り易い理由が必要なんですよ……」
 そう言って、長く眉根を寄せて思案に暮れていた諸葛亮の白い顔からふいに、険しさが消えた。
「我々はまだ、先帝陛下の巨大な影の中に居るのです」
 いきなり諸葛亮が言い出した言葉は、何を表現しているのかさえ良く解らなかった。
「……ちょっと、話が飛びすぎましたかね? 昔話を少しばかりさせて貰いますよ」
 馬岱の反応が鈍かったのを見て、諸葛亮はそう言った。
 まず、劉備という男が夢見て、数々の豪傑達を引き連れ振り回して築いて形にした国が、益州であり、蜀だ。農作に使える土地の少ない、ちょっとした錦を織れる位しか取り柄のない、山奥の土地だ。河北や江南の戦に巻き込まれずに済んだのも、山々に囲まれた地理が幸いしたのもあったのだろう。河北・江南からしてみれば遠過ぎて「後回しにしても良い土地」だった。放って置かれたのだ。
 しかし、政争から遠く離れた余り物の土地を自分の天下と標榜した劉備にとってはそうではない。ここから更に、自分の勢力圏を広げていく足掛かりなのだ。
 そう思っていた矢先に劉備と義兄弟の契りを交わした関羽と張飛が死に、劉備自身も義兄弟達の後を追うように死んだ。後の事は全て諸葛亮に任せられた。自分の血を引く息子が君主の器でなかったら君が成り代わっても良い、この国を頼んだぞ、と言って死んだ。
「北伐、北伐と申しますが、私としては先帝陛下が遺された物を守るので精一杯ですよ。曹魏に、平定したいなら来てみろ、大変な目に遭わせてやる、と吼えているだけで精一杯です。劉の名と血を引く漢を再興させる事は、夢にも等しい」
 馬岱は、劉備の遺志と全権を引き継いだ人間がこんな事を言い出すとは、思いも寄らなかった。今日は妖怪の世界にでも迷い込んだような、そんな事ばかりが次々と起こっている。もしかして、諸葛亮がふざけて言っているのではないかと思える発言ばかりが続く。
 あなたは本当に丞相ですか、諸葛丞相はどこですか、と馬岱が訊こうとするより早く諸葛亮は言葉を続けた。弓の名手の黄忠も寄る年波にはさすがに勝てなかった。折角降ってきて成都攻略に貢献した馬超も若くして病に屈した。蜀を見守る様に老いた趙雲も戦い過ぎて疲れるように死んだ。
 劉備に直接引き抜かれた人間で生き残ったのは、諸葛亮と魏延位である。二人と劉備の子の劉禅だけで蜀を保つのは無理に決まっていたから、その為に必要な人間は隣の荊州から予め捜してかき集めてきた。そして、そういう荊州出身の士大夫達の思う蜀と、自分達古参の考える蜀は異なる筈だ。虹が見る者によって三色だったり五色だったり七色に見えるという様に。
「今、国の頂点にある私自身が先帝陛下の影響から抜け出せずにいるのですから、その下々まで影の中にあると言っても過言ではないでしょう」
「つまり、魏将軍も……」
「先帝陛下の事を大変敬愛しておりますし、それこそ、彼は先帝陛下を一番理解しているのは自分だと胸を張って答えるでしょうね。そして、夢を諦めきれる様な性質の人間ではありませんし……」
 影の中に居るのだと、遠回しに言った。
「突飛な事を申し上げるかも知れませんが、もしかして、殺すのですか」
「おや。ご明察」
「何で、殺すのですか」
「この国が影の外に出る為です」
 諸葛亮の言う事はやはり抽象的だった。
「蜀漢が蜀として生き延びる為、そしてせめて、先帝陛下の願った民の幸せを守る為。税を搾り、徴兵して田畑が荒れるまで戦を続けるのは馬鹿げています。それは止したいのです。そして私も、近く死ぬ可能性があるからです」
 自分が死んだ後は誰も魏延を止められないだろう、どういう人事をしたらいいのだろうと思案していた所へ、楊儀や費イと言った面々が上奏文を携えてきたのだった。
 益州自体を守るだけなら我々で充分です、という内容だった。詳しくは語ってくれなかったが、良く出来ていると感じたらしい。
「私が指示するわけでもなく、いつの間にか上がってきたという感じで、何だか、胸の底が皆に丸見えになってしまっているような気がしましたよ」
 部下達に気を遣わせたのが申し訳ないと言うよりも、自分の心中を簡単に察せられてしまったという事がとてもつまらなく、諸葛亮としては好かない様であった。
 取り敢えず、諸葛亮は彼等が上奏してきた書類に目を通し、自分の意見も織り交ぜて一つの策を練り上げる事にした。益州の地、蜀の国が影から出る為の総仕上げが必要だからだ。
 その一つが魏延だ。軍人として使えるが、融通が利かないので周囲と衝突してばかりいるのが気がかりである。軍隊を上手く動かすだけの経験と権力を持ち合わせているのも、都合が悪い。もしも諸葛亮が居なくなれば軍事面においては、士大夫達は必ず持て余し、最悪の場合は振り回されるだろう。だから今の内に、強引なやり方なのは重々承知だが魏延に納得して死んで貰いたいと思った。その内魏延にも説明する。魏延も、「先帝陛下の為なら」と涙を呑んで了承してくれる筈だ。多分。
 諸葛亮はそう言った。
「……誰が」
 殺すのですか。
「先程私は、貴方に追い打ちを掛ける様な事を申し上げ――」
「私ですか」
 諸葛亮は小さく頷いた。
「なぜ私なのですか」
「あなたは誰にも、どこにも属していない。それだけの理由です」
 馬岱は荊州出身の人間でも、劉備の思惑に応じて臣下になった人間でもない。魏の影響の強い天水の辺りから投降してきた姜維や王平とも違う。そう言う理由のようだった。
「降ってきた人間という意味では、姜将軍達と立場は同じではありませんか」
 そう問うと諸葛亮は否定した。姜維や王平に当たるのは馬超であると断じた。そして馬岱は、馬超の名を辱めないようにもがくだけで精一杯の、独りぼっちの人間であり、唯一馬岱が属しているのは蜀に流れ着いた西涼馬家の社稷だけだと、そう締めくくった。その上付け加えるとすれば、権益にも諸葛亮が今後を憂えている役職や権力にも興味を示す気配がない。更に、魏延と違って劉備の夢にも感化されていない。
「何も言わずに、忠義の臣としての貴方を信じます。今後は、魏将軍から並々ならない信頼を得て下さい」
「……いつ、どういう風に、将軍を殺すのですか」
「それは判りません。戦局はあまりにも流動的です。魏軍の様子も何もかも――」
 諸葛亮はそこで口をつぐんだ。自分の健康も戦局を動かす駒の一つだと割り切っているような物言いだった。
「――ですから、遺される皆様が困らない様に幾つか案は作っておきますが、どれを実行するのか判らない状態ですので、それの下拵えとして、貴方は魏将軍の信頼を得て下さい。時が来れば、密書でお伝え致します。まず最初に実行される案では、貴方は魏将軍に従って殿軍を務める事になるかとは思いますが……。それと、魏将軍には、今日のこのお話の事は書類作成の問答だったと伝えて下さい。その為の書簡も、用意してありますから」
 話はそれだけだったのか、一方的に喋り続けて諸葛亮は席を立った。
 自分は本当に何もしなかった。ただ時々、諸葛亮の意図が解らなくて意味を噛み砕いて貰う為に質問したり、単なる相づちを打つ位しかしていない。何の為に呼ばれたのか、どうして居たのかさえ訳が分からなかった。
 けれども一つ、確定的な事がある。
 自分が魏延を殺す。そう遠くない未来に。それはもう決定されてしまった事だ。しかしその時期もやり方も、諸葛亮は教えてくれなかった。間者を通して伝えますとしか言わなかった。
 戦場は諸葛亮の言う通り流動的だから、いつ毒殺しても寝首を掻いてもおかしくはないだろう。だから自分を選んだのだと思っていたのに、諸葛亮は全く別の理由で選んだ。あの人の頭の中は、自分とは余りにもかけ離れている。
 一言で言えば、どの派閥にも属さないから後腐れが無くて良いという事なのかも知れない。
 帰り際に、書簡を持っていくようにと一式渡された。報告用と予備の白紙の他に、諸葛亮が言っていた偽書類も混じっていた。

 どうだった、という魏延の問いには面倒で大変だったと答えた。しかしこれからもっと面倒くさい事になるのだろう。そう思って魏延の机の脇に立ちながら声を掛けた。
「私は、面倒で入り組んでいる事って、あまり好きではありません」
 俺もだ、という魏延の答えが来た。
「物事は出来れば解り易い方がいい」
 そうだ、と馬岱も思う。そう思いながら書簡の一式を渡すと、魏延はその中から馬岱の処遇についての報告書だけを抜き取り、こんな事混ぜっ返すな、と叫んでゴミの中に投げた。
「戦線は膠着する、丞相の方も動きはない、その上こんな書類。腹の立つ事ばかりだ」
 そう言いながら机の方を向いていた椅子を蹴って向きを変え、そこに腰を落とした。貴様は腹が立たんのか、と魏延が言った。
 机の上の筆を拾い、弄り始めた魏延の片手の横に馬岱は自分の両手をついた。魏延から見れば机の向こうから身を乗り出しているような格好になった。
 筆を弄る男の手とその横に揃えた自分の手を比べた。大きさはもう見慣れた。自分の手を容易に包む程の大きさだ。時折見える手のひらは剣戟の握り過ぎで足の裏の様に固く白くなっている。人差し指から薬指にかけて、馬岱の親指と同じくらいの大きさの分厚い爪が並んでいる。この手の柔らかいところを探せと言う方が難しい。
 これが、この国で一番強くて用兵も上手い癖に口下手で不器用で、その所為で損をしている人間の手だ。
「……解りません」
 腹が立つのかと訊かれたから、一応答えた。本当に解らない。何に対して怒ればいいのか、それ自体が解らない。諸葛亮の言い分も本当に正しいのか解らない。魏延は何も言わなかった。
 けれども、いつかこの武一辺倒の人間を自分が殺さなければならない時が来るのだ。こんな手の人間を殺せるだろうか。正攻法では無理だろう。
「……文長殿」
 何だ、と言う生返事。一応聞いてくれているようだ。
「打たれて寝込んでしまった所為か、何だか体が上手く動かない気がするのです」
 魏延がこちらを向いた。しばらく馬岱の顔をじっと見つめた後、椅子から立ち上がり、机を回り込んで近付いてきた。
「えっと、何を……」
「触るが、良いか?」
 魏延が何を考えているのか解らないが、頷くより他はなかった。頷いた途端に、肩に両手を置かれ、くるりと向こうを向かされた。魏延が見えなくなり、幕舎の隅に反故や襤褸布や、何かの拍子で腹を立てた魏延がへし折った長物の柄が積まれた「ごみ置き場」と誰となく言い出した所が真正面に現れた。先程の偽書簡もここに投げられた。ごみは大体燃やされる。
 足場がふらついて転びかける馬岱を、肩に置かれた魏延の手が制した。男の右手のひらがじわりと肩胛骨の辺りに載せられた。左手は肩に添えられたままだ。右手の触れている辺りは鞭打たれた箇所の縁に当たる。そんな小言を言うならお前もごみにしてやる、と魏延に突き飛ばされる物だと覚悟して、思わず身構えた。
「こら、力を抜け。……この辺りから、ここら辺までだよな、打たれたのは?」
 魏延の手のひらがゆっくりと背中を這った。両肩胛骨の上から、肋の縁に掛けて大きくなぞられた。まだ時折、何かの拍子で針を刺すような意地の悪い痛みを感じる時がある。
 初めてまともに魏延に触れられているような気がした。これまでに彼からは何度か悪戯のつもりか、肩を叩かれたり頭を撫でられたり、ひどい時には殴られたりした事があった。けれども、今、背中と肋を這い回る手から伝わる暖かみは、それらと全く意味が違う気がした。
「はい」
 のど元までせり上がる動揺を抑えてそう答えると、また回されて、元通り魏延と向かい合った。それから魏延は馬岱にあれこれ指示を出してその通りに動けと言った。万歳をしたり腕を回したり、剣を持って適当な型か舞を一通りやってみるようにとまで指示をされた。
 酒の席の剣舞で要人を殺したと言う故事があるが、それの事を指して、暗に試そうとしているのだろうかと思うと、舞もぎくしゃくとした下手な操り人形がやっと動いている様なものになってしまった。一瞬だけ伺った魏延の顔は、呆れ顔だった。
 舞終わって礼をしても、魏延は何も言わなかった。
「……最後の踊りのぶきっちょさは置いておくとして、俺から見たところ、そう支障があるようには見えないが?」
 魏延はただ単に、馬岱の傷の影響と体の動きを見たかっただけの様だった。それならそうと解りやすく言ってくれればいいのにと思った。
「ただ馬に跨ってるだけならそれほど苦しくないのですが、乱取りをすると以前より早く息が上がってしまって……」
「じゃ、貴様はなるべく後方支援に回るように配置してやる」
 いえ、と言って首を振った。そういう事を望んでいるのではない。
「私は、あなたのお役に立ちたいのです」
 魏延が目を見開いてこちらを見た。子供のような素直な驚きがそこにあった。今の言い方ではいけなかっただろうか。裏があると、疑われてしまっただろうか。
「……貴様は変な奴だな。俺の役に立ちたいなんて……」
「おかしいでしょうか」
「うん。だって、鞭打たれた原因の俺に恭順するなんて、狂気の沙汰も良いところだ」
 これまた、ひどく幼い答えだった。
「ところで、貴様に死なれたら名門の社稷は誰が守るんだ。俺も貴様も、並んであの世で馬超様に説教されるぞ」
「望んで死にたくなんてありません。ですから、文長殿のお手空きの時で構いませんので、私に稽古を付けて頂きたいのです」
 魏延をどんな状況で殺す事になるのかなんて、解らない。乱戦の最中に背後から殺すのか、崖からでも突き落とすのか、追い込んで、誰かが弓矢で撃ち貫いてくれるのか。最悪の場合、自分が魏延と一対一で殺し合わなければならない場合だってあるかも知れない。
「私を強くして下さい」
 そう思っての追加の提案だった。一対一の殺し合いなら絶対に不利だ。身長差、得物の間合い、膂力、どれをとっても魏延が遙かに上だ。けれども同じ動作を繰り返す内に、彼の動作の癖を把握できるかも知れない。しかし逆に、魏延が馬岱の癖に気付く不利益もあるだろう。けれども、もしかしたら、万に一つの可能性もあるかも知れないが、うっかり魏延が自分を斬り殺してくれるかも知れないという期待もあった。
「……よかろう」
 少し考えた末に、魏延が答えた。
「ただ、俺が暇な時だけだぞ」
「全く構いません。お願い致します」
 馬岱は微笑んだと思う。自分の顔面の事なのに、まるでどうなっているのか分からない心境だった。もしかしたら醜く汚い謀略に塗れた笑みになっていたかも知れない。
 けれども魏延は笑い返してくれた。幼い子供のような、くすみ一つない笑顔だった。


「中編」へ続く

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